法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

低線量被曝を家族の受動喫煙にたとえるべきか

chronekotei氏*1が低線量被曝リスクについて、リスクを過剰に見積もった場合の「後悔」を想像するよう示唆していたのだが、その比喩に首をかしげた。
低線量被ばくのリスクについての考え方 ~黒猫亭さんの場合~ - Togetter

そして、低線量被曝の影響について言えば、もしも子供が将来ガンになったとしたら「あのときに避難しなかったせいかしら」と「疑うだけ」の話だよ。そんな必要がなくても、親は子供に何かあれば自分を責めると謂うだけの話だ。他人が口出しするような問題じゃない。
chronekotei 2012/08/03 22:18:26

客観的に言えば、子供が将来ガンになったとしても低線量被曝の影響ではない。いろいろな条件が揃ってガンになったと謂うだけで、その条件に低線量被曝が寄与しているかどうかは「わからない」と謂うだけの話なんだよな。
chronekotei 2012/08/03 22:19:46

誰かがガンになったときに、「あの日の朝食べさせた焼き魚が焦げていたせいかしら」とか「お父さんが煙草を吸っていたせいかしら」とか考えても意味はないんだよ。
chronekotei 2012/08/03 22:24:06

少なくとも、受動喫煙が発ガンリスクということは、リスクが検出できないような低線量被曝とは比べものにならないほど確実視されているはず。chronekotei氏の比喩でも、読んだ限りは一因として充分に考えられる。
とりかえしがつかない問題が発生した後に原因を考えてもしかたないという思想は確かにあるが、それは個人がとりえない責任を追及することは無駄という思想であって、原因追求そのものが無意味という話ではないはずだ。


そして補足的に出した比喩が、より大きな問題がある。

子供が育つまでの長い間には必ず何かあるんだよ。それがそこに避難しなかったら発生しなかったことであれば、親は必ず後悔する。その後悔はどうでもいいんですかと謂うことを少しは考えたほうがいい。
chronekotei 2012/08/03 22:31:00

それって要するに、お父さんが毎日ウチで一、二本煙草を吸うのが許せないから離婚すると謂うようなもんだろうと謂う話だよね。
chronekotei 2012/08/03 22:33:35

当人がそうすると言うのであれば、まあ最終的には他人がとやかく言うことじゃない。しかし、「そんな旦那とは別れなさい」とか他人が言うのはどうなんだよ、と謂うわかりやすい話をしているつもりなんだが。
chronekotei 2012/08/03 22:34:52

まず、比喩そのものの妥当性とは別に、比喩が不十分だったことを認めるくらいはしていいのではないか。
補足の比喩において「他人」の台詞は「お父さん」を「旦那」と呼んでいる。だから補足前の比喩での「お父さんが煙草を吸っていたせいかしら」という台詞は、「当人」のものと解釈できる。
比喩に当初は存在しなかった「他人」を登場させ、異なる比喩を提示して「わかりやすい話をしているつもり」と自称するのは、過去にchronekotei氏がDr-Seton氏の比喩を「当事者性のすり替え」があるという主張で「詭弁」と評した*2こと整合しているのだろうか。


そして本題だが、「お父さんが毎日ウチで一、二本煙草を吸うのが許せない」という状況は、それほど離婚の原因として奇妙だろうか。少なくとも「許せない」と家族が思うようにいたらしめながら、それでも喫煙を続けるような「お父さん」には相応の「責任」がある。
家族であっても個人の趣味嗜好を全否定するべきではないが、逆に個人が心身のリスクを一方的に家族へ押しつける権利もない。比喩のような状況になれば家族で会話するべきだと思うし、その程度の会話も困難であれば離婚は選択肢の一つだろう。
「そんな旦那とは別れなさい」という台詞を他人が発することも、実際に離婚させる意図はなくても批判を表明する表現と読めば、むしろ自然なことだとすら感じる。もちろん喫煙だけを理由として他人が本気で離婚をすすめる場合は滅多にない思うが、それは離婚が現在の日本社会で大きなリスクとなるためだろう。喫煙のリスクはわからない、もしくは家族が享受するべき程度のリスクしかないという主張には、私は妥当性を認められない。
何より、補足的な比喩で語られている状況は、ガンになった後の原因追求ではなく、まだガンになっていない状態だ。リスクを恐れて家での喫煙をやめるよう願うのは、家族でも第三者でもありうる感情の一つではないか。むしろ、「お父さんが煙草を吸っていたせいかしら」という追求を批判し、いわば“それでも旦那だから我慢しなさい”とでもいうような他人こそどうなんだよ、という話になる。


個人的には、家族の抑圧的な機能を前提としつつ、社会を家族になぞらえるような比喩そのものが、あまり好きになれない。
社会も家族も、意見の抑圧を目的とした共同体であるべきではない。そして、ある共同体が抑圧的にはたらいてしまったなら、別の共同体が抑圧から救うよう動くことが理想だ。離婚を望む者も望まぬ者も、ともにリスクを負わない、そういう社会であるべき。

*1:以前のやり取りで、リプライに対して「クネクネのダシにされるのはかなわん」という理由で応答を拒絶されたので、原則としてリプライを送らない。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120313/1331770494

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120306/1331147260