法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

比喩とかの話

誰が「正しく怖がれ」といったのかという問題 - 法華狼の日記
上記エントリとそのコメント欄等で書いていたことについて、Dr-Seton氏自身から補足するエントリが上がったので、紹介しておく。
「科学的基準 キリッ」じゃすまない、って話 - Dr-Seton’s diary
何というか、「第三者」である私が書いた解釈と思っていたより内容が重なっているだけに、これでは賛否両論の「否」に対して届かないだろうな、と思ったり思わなかったり。多方面に失礼だが。


もう一つ、トラックバックが通っていなかったためか気づかなかったので、今さら回答しておく。
徒労 - ならなしとり

この前の記事にこういう反応が返ってきました。ご丁寧にはてなidコールの呼び出し付きで。

id:salmo*1に対して複数回コールした最大の要因である記憶違いについて、訂正を確認したので*2、今後に私から追求することはないと思う。

そもそも、わかりにくいないし誤読されまくる比喩ってなんの価値があるのでしょうね?端的に比喩として失敗ということでしょうに。わかりにくいだけならまだしも現実にあてはめようとすると具体的にどこを指すのか玉虫色の解釈ができるようではモノサシとして役に立たないんじゃないですかね。

注意しておくと、Dr-Seton氏はエントリで比喩のみを提示したわけではない。私は当該コメント欄でも下記のように書いた。

素直に文章を読めば、Dr-Seton氏が批判しているのは「基準」です。レトリックではない地の文で、結論と読むべき段落で明記されていますよね、「科学的に見て健康に影響があるかどうか、を基準とするのは大元から間違っている」と。

地の文で明確化されているのだから、それこそがDr-Seton氏が提示した「モノサシ」と見るべきだろう。
そもそも比喩は厳密さを期待するものではない。固有性をいったん捨象して、普遍的に物事をとらえようとするためのレトリックだ。Dr-Seton氏のレトリックへの批判でも、レトリックはもともと正しい理解をえられるものではないという指摘があったはずだ*3。少なくとも誤読されずとも適用範囲はかなり文脈に依存する。
だから……

説明するまでもないかもしれないけど、DHMOってニセ科学批判とかで有名な逸話。元の記事からしDHMOネタを持ち出しておいて、その批判対象にニセ科学批判界隈やそこの有名人を連想しない方がよほど文脈読めてないでしょうね。

……上記のようにDHMOという一つのレトリックを肯定しながら、レトリック全般が持っている問題点をもって他者を批判することは、あまり筋が良くないと思う。そもそもDr-Seton氏の「水をひっかけちゃいな」という表現自体が、DHMOというレトリックを延長した皮肉だ。また、Dr-Seton氏のエントリに出てきた言葉が批判対象を示す要件と考えるならば、「放射脳」もふくめられるだろう。
だから私はsalmo氏が、レトリック全般を論争の場に持ち出すべきではないという姿勢を、そしてレトリックの対象が不明瞭という批判を、つらぬくべきだったと思うわけだ。私が積極的にsalmo氏へ異論を述べていた主な理由は、理路の部分なのだから。
ゆえに前後するが、下記の主張は反論としてかみあっていない。

そして雑誌記事の例を示し、改変ジョーク以上に戯画的で見当違いな要求をつきつける「正しく怖がれ」論者が存在することや、その論者が一定の影響力を持っているだろうことも、私は指摘できたつもりです。

ああ、うん。つもりでしかないですね。

私は雑誌記事で「正しく怖がれ」論者が誰なのかという「理路」の話をしたのであって、Dr-Seton氏の主張とはある程度まで独立している。
salmo氏は引用していないが、その直後に私は明言していた。

ここまで詰めて、ようやく「「正しく怖れよ」と言っている人たち」が不明瞭であるという理路で改変ジョークを批判できると私は思っています。理路が誤っていても間違いという結論が似ていれば同じように正しい、とfnorderさんは主張しないでしょう?


最後に、文脈を押さえずに反論するのは感心しない。

貴方のポジショントークにこっちが付き合う義理なんてない。ポジショントークのダシに他人を使った挙句、わざわざ呼びつけてまで自己顕示するというのはよくわからないですね。正直、そんなものに他人を巻き込むなんていい迷惑だなと思います。「誠意は伝わらない」なんて言ってますけど、他人をダシにするような人間がなにおかいわんや。仮にそれを抜いても、こっちは具体論に踏み込んで論を述べているのに、一人だけのらりくらりと躱す状況でどこが“誠意”なんですかね?

エントリタイトルにした「誠意」や「誠意は伝わらない」は、chronekotei氏が「誠意を期待しても無駄」とツイートしたことへの返答。「徹頭徹尾ポジショントーク」は私をDr-Seton氏の代弁者であるかのように見なしたfnorder氏への返答。
少なくとも自身でエントリを「訂正」したのだから、私の指摘した理路の一部誤謬はsalmo氏も認めたはずだろう。そのむねの説明を排除していることに、ここまでくると多少の不信感を持たざるをえない。

僕の最も重要な論点である「指の入ったラーメンとは何か?」は他の人に質問されても無視を貫くと。読めているというならさっさと開陳すればいいのに。

その「他の人」が質問したことに対して、私ははっきり回答している。当該コメント欄から転載しておく。

エントリ本文で「誤読を誘う問題はあるにせよ」。
注記で「ただし、批判対象が具体的に示されなかったため誤解や誤読をまねくという理路の批判ならば、一定の妥当性があると思う」。
前エントリコメント欄で(2012/03/05 07:46)のコメント(コメント欄にfnorderさんもいますよね?)。
そして今エントリコメント欄で『「「正しく怖れよ」と言っている人たち」が不明瞭であるという理路で改変ジョークを批判できる』。


……といったように、理路に一部疑問を持ちつつ何度も一定の妥当性があるむねを明言したのですが、まだ書き足りなかったのでしょうか?(反語) 「長い。目が滑る。」とコメントされていましたが、本当に目が滑って「無視」したというオチですか?(疑問)
むしろ、なぜ一部に批判や異論を述べたことに対して、他まで全面的に否定したと解釈するのか理解できません。それこそ敵味方の二分法でしか考えられない態度でしょう。salmo氏に対しては、最終段落で表現には留保しつつ賛同することを別エントリに対して明言してすらいるのに。

特につけくわえる必要は感じない。先に返答したように、あくまで理路の話だったということ。


なお、今回のこととは全く独立した下記の記述に対しては承った。

昔、熊森関係で噛みついたのは軽率でした。そこはこちらの落ち度として謝っておきます。

また、長くてよくわからないという私の文章技術に対する評価も貴重な意見として承っておく。……それなのに長文で返答して、もうしわけないと少し思うが。

*1:「今後はidコールされても無視します」と今回に明言されたので、コールするのは原則として今回を最後としておく。

*2:http://blog.goo.ne.jp/micropterusandsalmo/e/eb5f580efb8379c5453a3c6d978e3556の「追記3/16」以降。

*3:salmo氏のエントリに対するはてなブックマークでもkanose氏の『比喩は「わかりやすくするため」じゃなくて「わかった気にさせるため」だと思っております』といったコメントがある。http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/micropterusandsalmo/e/eb5f580efb8379c5453a3c6d978e3556