法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『耳刈ネルリと奪われた七人の花婿』石川博品著

演劇大祭を前にした主人公達は、舞姫として活躍しているチェリ先輩と、ささいな自尊心の問題で対立することとなった。興奮するネルリ二世の飴&鞭によって、一年十一組もチェリ先輩に対抗して愛&誠(ラブ・アンド・ピース)な舞台劇を始めることとなる。
主人公達は原作を改変し、拉致された男七人が話術を用いて耳刈ネルリから自由を勝ち取る物語とした。男子生徒の数が少ないため、七人中三人は女子生徒が演じることとなり、キマシタワーと学内外で評判を呼ぶ。


主人公が倒すべきは、コーチキン作品に登場するフィクションのネルリであり、同じコーチキン原作で舞台劇を披露するチェリ先輩であり、耳刈ネルリの乱を連邦の視点で解釈したコーチキンであり、コーチキンの作品を検閲で切り刻んだ連邦政体である。二重三重の入れ子細工で、それぞれの視点による「ネルリ」*1観を相対化していく。
演劇が始まると、舞台上の視覚効果と舞台裏が交互に描かれ、演出そのものの面白さとメイキングの面白さが同時進行で味わえる。物語も適度にアドリブが混じり、主人公視点でも予測がつかない。同じ原作で先にチェリ先輩が演じ、同じ物語の異なる解釈というパロディのプリミティブな楽しみも味わえた。
この種の物語にありがちな祭の準備だけの楽しみではなく、祭を走りきる楽しさと、祭が終わった後の気だるさまで描ききった。


第一作と比べると、主人公のキャッチャー・イン・ザ・ドリームはひかえめ。ボケツッコミが少ないから、自分がツッコンだばかりのボケを全力で再現するという主人公の特色がわかりやすい。
冒頭と結末の独白は、特に余剰をそぎおとした文体でつづられる。その独白で、この小説が過去の熱気をふりかえる視点と明かされた。つまり、未来からふりかえる視点ということは、この第二作目そのものがシリーズ三部作全体を象徴する入れ子細工になっているともいえる。
初めて顔を出す父も、連邦政体を象徴すると同時に、第一作で主人公を学園に送り込んだ存在でもある。その父をふくめて、全ての関係者が一堂に介する劇の終盤は圧巻だ。第一作と同じく乱痴気騒ぎで強引に押し通した感もあるが、気にかかるほど不合理性はない。
第一作以上に複雑な構成だが、演劇を軸とした物語ということが明確で、小説としての完成度は優っていた。

*1:むろん、初代と二世の両方。