境宗久演出。今回は、SDをつとめた『スイートプリキュア♪』での登板回よりも、演出家としての個性が機能していたと思う。地味な日常描写を重ねる志向が、SD作品ではスタートダッシュの遅さやアクションの薄さに繋がったのではないだろうか。あくまで今回のような演出は高年齢向けの変化球であり、神経の行き届いた作業が要求されるので、TVアニメで1年間続ける作品のフォーマットとしては難しいように思える。
そのため、見ていて思い出したのは『ハートキャッチプリキュア!』で初登板した第9話。家族の不在に悩む主人公の回想を、表情のクローズアップではなく、ロングショットや背景のみという抑制したカットを重ね、心の奥に沈んだ悲しみの深さを表現していた。今回は、その第9話を超えるほど背景のみで心情を暗喩したカットが多く、キャラクターの独白に注意が行くよう映像を作りあげていた。この演出は作画枚数の節約にも寄与しただろう。
ちなみにファッションショーにて『ハートキャッチプリキュア!』の来海家が登場していたが、境ツイッターによるとコンテ時のアドリブという。
作画枚数を一挙に使ったアクションも素晴らしい。しかもCGで描画された路面*1の演出でシームレスに回想へ移行し、キュアピースの奮起に繋がった。プリキュアであることがドラマと密接に結びついている。
また、米村正二脚本に組み込まれていたかは不明だが、天候変化も映像表現として良かった。それも季節感がある良さや、心情の隠喩としての意味だけではない。
たとえば、屋外に主人公達しかいなくても、雨天だから不自然ではない。主人公達だけに視聴者の興味を集中させられるし、傘で身体が隠れて*2歩行者も存在しないから映像リソース節約にもなる。
CGで描画されたキュアピース視点の路面も、まず樹木の影が落ちた回想カットで沈んだ気分を表現。しかし同じ回想カットをアクション時は雨に濡れた暗い路面から切り替えることで好転を表していた。
名前の由来について注意したいのは、あくまで主人公達の名前が多種多様な重みでつけられていたところ。考え抜いてつけた名前に良さがあるとして、そうではない子供の視聴者が嫌悪感も持たなくてすむようになっている。
あくまで、父親の遺した愛情表現の一つが名前であったということであり、愛情表現の多様さが否定されたわけではない。主人公達の多彩な家族像は、それぞれ肯定すべきところで肯定されていた。
上野ケン作画監督を初めとしたアニメーターの仕事も、期待に応えきったもの。多くのカットを可愛らしく仕上げつつ、アクションは激しく動かしていた。キュアピースが立ち直るクライマックスで線質を変えた美麗な作画も印象に残る。
境ツイッターによると名前についてのアイデアも提供されたらしい。こういう情報を見ると、アニメ作品が集団作業によるものだということを痛感させられる。
*1:キュアピース視点だけでなく、戦闘でも空間に奥行きを出すために活用されている。
*2:傘が印象に残る沈んだ物語という点で、細田守演出の『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』第49話も思い出した。このシリーズでも主人公達の一人が離婚による単親家庭だった。