法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

放射線が原因でなくても、被害者の訴えは真摯に聞かなければならない

数ヶ月前に、子供達が鼻血を出したという訴えがインターネットで話題になっていたのを見かけた。
その理由に放射線の影響を見いだす主張が付随していたが、もともと子供は生活していて普通に鼻血を出すものであり、特別な理由を見いだすのは先走りというところで議論としては決着したらしい。[twitter:@kikumaco]氏の指摘や反論を中心的にまとめたTogetterを紹介しよう。
菊池誠(kikumaco)さんが「低線量の内部被曝で鼻血・下痢」というデマについて解説 - Togetter

「○○の症状が大量発生」と言われたら、まずは「本当に発生しているのか。しているとして、例年より本当に多いのか」を確認すること
kikumaco 2011/06/14 19:17:09

鼻血や下痢について「低線量被曝だ」という人はたくさんいますが、その中に「だから、早く医者に診てもらいなさい」という人がいないらしいのはなぜでしょう。当然、医師の診断を勧めるべきで、それをしない人は、結局何ひとつ本気では言っていないのですよ。
kikumaco 2011/06/15 01:08:39

また、世田谷区の個人宅の床下から高い放射線量が検出されたこともあった。当然のように原発事故で局所的に放射線源が滞留している可能性を疑われた。世田谷区長のブログエントリを紹介する。
世田谷区内の局所的な「高い線量」計測について - 保坂展人のどこどこ日記

まず強調しておきたいのは、今回区で確認した高線量の個所は狭く限定された空間(高さ1・5m×幅2m)であるということだ。10月6日に区が確認した最高の数値は「2.707マイクロシーベルト(毎時)」で地上1mの計測値だが、直下の地上5㎝だと半減する。5〜6m離れた公園では、0.07前後の世田谷区の平均値の枠内となっている。

 今回の高い線量について、環境測定専門業者は「一定の所に雨水が集積したのではないか」という見方をしているが、更に詳しいことが判り次第公開していくことにする。

一方で当初からホットスポットにしても局地的すぎるということも指摘され、やがてラジウムを利用した蛍光塗料が床下に保管されていたためと確定した。
しかし、もちろん高放射線量という問題があることには違いがない。むしろモニターされていない放射線源が他にも存在する危険性が暴露されたわけで、今後の広範な調査や対策が必要というところにまとまった。
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/important_imformation/0006/index.html
いずれにせよ、過去の社会が放射線に対して無頓着だったことを思い起こさせるという象徴的な出来事だった。蛍光塗料からして、かつては広く使用されていたものの放射線を発することが問題視されて現在の蓄光塗料へ代替されていったという科学技術史の流れがある。さらにいえば、原子力発電を都市から追いやることで、身近でなければ依然として無頓着でいられた社会のありようを暴露する象徴的なできごとだったとも思える。
文科省、福島県以外のホットスポットの通報・支援窓口を設置へ - 保坂展人のどこどこ日記

 奇妙な感覚を持ったのは、世田谷の高い線源が「管理下にない放射性物質」という概念で括られる「危険な放置物」だったことで、文部科学省の処理スキームが機敏に作動して早期解決に至ったことだった。福島第一原発事故が原因なら「自治体まかせ」で支援はないが、危険物なら国が責任を持って除去するというのはおかしいと感じた。
 放射線測定を市民が行なうという事態は、これまでの原発依存国、日本にはなかった。しかし、ようやく見え始めてきた放射能汚染を前に、大きな転換が起こっている。

個人的には、西原理恵子作品『できるかな』のガイガーカウンターを作るという企画で、原子力関係施設より身近な蕎麦屋放射線量が高く検出されたという逸話を思い出した。あるいは同様の事例だったのかもしれない。


上記の出来事は放射線という原因、もしくは原子力発電事故という原因がそれぞれ疑われたが、結論として排された。だが、被害や問題の証言そのものが頭から否定されたわけではない。あくまで原因に錯誤があったというだけで、それぞれに対策が必要ということは間違いないという結論であることに違いはない。この文脈で、kikumaco氏のツイートで2つ目を重要と思い、引用した*1
さて一方で、戦争の被害を伝える報道や証言に対しても、懐疑する主張は珍しくない。だが戦争の場合は原因の錯誤を疑うにとどまらず、往々にして証言によって訴えられる被害そのものを否定しようとする傾向が感じられる。否定の動機を想像するならば、被害の存在を認めると、一部に錯誤があったとしても、依然として攻撃した側の責任が直接的に問われるためだろうか。
一例として、白燐弾の犠牲を伝える報道について懐疑する場面を別エントリで紹介した。
白燐弾が原因でなくても、被害者の訴えは真摯に聞かなければならない - 法華狼の日記

http://www.ncnp.go.jp/nimh/seijin/www/for-sufferers/others_02.html

被害者はたいてい、何も言われなくても罪悪感や自責感を感じてしまいます。自分のとった行動に対して、あるいは自分がもっと抵抗すれば防げたのではないかなどについて、自分を責め後悔しているのです。ですから例えば、慰めようと思って「あなたが、もう少し早く帰っていたらねえ」などと言うと、自分はそうするべきなのにしなかったということで、被害者は自分をますます責めてしまいます。

この例は、『できるかな』で比較的に高い放射線*2を身近に検出した作者が、高放射線源を借りて確かめるまでガイガーカウンターの精度を疑ったことと似ているように感じる*3
鼻血の原因に放射線障害を疑い恐れるような不安は、その心情を表明しない人が実際には大多数ではないだろうか。インターネット上で確認できたのは、声の大きな一部だけという可能性が高いと思えてならない。心理的な不安は放射性物質よりも広く濃く拡散されうる。

被爆者が体力低下を訴える原理不明の症状、俗にいう「ぶらぶら病」を頭から否定するべきだろうか。そうではないはずだ。

ちなみに「ぶらぶら病」の原理は一説に心因性ともいわれているが、そのことは放置していい理由にはならない。心因性であると思われるなら、心理面での支援が必要であるということだ。
意識的に虚偽の証言でもしていない限り、被害者の主観においては、たとえ非現実的な陰謀論であろうとも被害が実在することに変わりはない。被害が主観だからという理由で全否定すれば被害者の孤立を招くこともあり、社会の断絶を作り出してさらなる問題を作りかねない。
この意味において、鼻血の原因に放射線障害を疑い恐れるような冒頭で紹介した問題も、原因が錯誤と結論づけられた後でも、何らかの心理的な支援が必要であったと思える。むろん正しいと思われる情報の提示も支援の一つになりうるが、無償の個人*4によるそれだけでは限界があるだろう。
心理的な不安を作った責任もある日本政府や東京電力らによる支援はあって当然だし*5、私も社会を構成する一員である分だけの責任はあるだろう*6


戦争の被害証言が特別に否定されやすい理由として、当事者の責任が直接的に問われやすいという推測を先述した。だが、実のところ原因が天災であれ人災であれ、行政は個々人を救う責任があるし、民主主義国家であれば社会の一員にも相応の責任がある。
だから被害者の訴えを、事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはならない*7。被害者の認識に錯誤があったとしても、被害があれば救うことが社会の義務なのだから。そして被害証言を一つの情報として大切にあつかうことは、被害を訴える当事者を救うのみならず、きっと社会を構成している個々人にとっても有益となるはずだ。

*1:「いないらしい」と推測している事実関係については、Twitterの状況を充分に把握しているわけではないので、私も留保しておく。

*2:即座に健康不安を生むほどの数値ではなかったが。

*3:もちろん疑うことが悪いわけではない。身近に放射線の危険性がある可能性にも同時に思いいたっても良いということ。

*4:ただしkikumaco氏の場合は大阪大学で教授職をつとめた物理学者であり、専門家が社会に対する責任をはたした行動であるという見方もありうるだろう。

*5:もちろん支援が皆無というわけではないが、現状で充分とは全く思わない。

*6:個人の具体的な行動としては、選挙や社会運動を通した権利要求から、不安を増大させないよう注意することといった事柄といったところが限界だろうが、責任を負っているという意識を持つことは重要だろう。

*7:この文章は、山本七平が被害者側の訴えを積極的に否定するべきと主張した表現を逆用した。http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060320001204/index.html