法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

戦争において、はじめの加害者の認識がせまかったことを理由として、なぜか被害者の訴えを除外しようとする人々

特定の社会制度が問題視される時、最初に注目されなかった部分を問題視してはならないという意見がある。その時、最初に注目された問題点が何だったかという把握は正しいのか。そもそも最初に注目された問題点しか焦点化してはならないのか。
たとえば、広島や長崎の原爆投下で被爆者が負った症状は、その全てが熱線によるものか放射線によるものか原因に明確な区別ができるものではない*1。仮に、被爆者のケロイドが全て熱線によるものと米国で広く考えられていたなら、放射線による痛みを被爆者がうったえてはならないのか。逆もまたしかり。むしろ狭い範囲でしか加害を認識できなかった加害国の責任が、より重く問われるのではないか。
さして難しくない話だと思うのだが、日本が加害国の立場になる従軍慰安婦問題では、残念ながら理解されにくいようだ。はじめて実名で現れた慰安婦証言者が、身売りをかいして集められ、慰安所における強制性の苦痛をうったえたことに対し、主張が強制連行から後退していると受けとめる人々がいる。


まず先月、[twitter:@haraitashingo]氏から私個人に対して、下記のような疑問が出されていた。

個人的な思いをいえば、とりあえず目に入る範囲での明らかな二次加害をやめるように願っている。
私は日本社会に住む日本語話者の日本人なので、観測できて批判できる範囲が限られていることは事実だ。さらに慰安所制度と比較するまでもなく、済州島事件や天安門事件を否認する主張を、現代日本で聞くことはない。むろん、国家的犯罪の重大性を安易に比較して優先事項を決定するべきではなく、個々人がそれぞれの価値観で異なる社会問題へとりくむことは自由だ。
ただし、日本人慰安婦が選択的に無視されているという主張は間違っている。私は従軍慰安婦問題を日本人以外の慰安婦に限定してとらえたことは一度もないつもりだ。逆に、日本人慰安婦歴史学から無視されているという誤認を批判したことはある。
吉見義明『従軍慰安婦』にも書かれてある日本人慰安婦について、「さっぱりといってもいいくらい聞かない」「書いている本は少ない」と主張する人々 - 法華狼の日記
もし日本人慰安婦証言者が少ないことをもって無視されているというのならば、二次加害が日本社会でおこなわれていることこそ、日本人慰安婦が証言者として名乗り出ることをさまたげる要因だろう。また、植民地の現地人を協力者として利用したからといって統治者を免罪する詭弁は、慰安所制度だけでなく他国の民族浄化ホロコーストにも適用できる。
さらに、「問題が発見されてから」以降の認識も誤っている。おそらく「フレームアップ」については、捏造という本来の語義ではなく過激化くらいのニュアンスだと思うが、問題が発見された後に批判が激しくなるのは当然だろう。それに「いまは児童略取で国際法違反まで後退してる」という主張は、解釈の余地なく事実関係と齟齬がある。狭義の強制連行があったことは現在でも歴史学において認められているし、未成年者売春や甘言による拉致もあったことは過去から問題視されていた。
従軍慰安婦」という言葉が広まった原因とされている千田夏光著作*2からして、募集を強制連行に限定していなかった。1974年に映画化した作品でも、偽りの文句と高額な前借金で集められた日本人慰安婦を主軸にしており、官憲による直接的かつ暴力的な連行だけが問題視されていたわけではなかったことが明らかだ。
従軍慰安婦 - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)

昭和十二年秋、秋子、道子、ユキ、梅子等は、銘酒屋の主人・金山に前金千円で買い集められた。彼女たちは北九州の貧村の娘で、家のために売られて来たのだが、兵隊を慰めるのはお国のため、と信じきっていた。

済州島での日本軍による強制連行を否定した秦郁彦調査が発表されるより前、1990年の国会においても、軍関与はなかったようだから調査しないという政府委員に対して、日本政府が直接関与しなくても責任はあるだろうと国会議員が問いただしていた。つまり、直接関与でしか責任を認めない日本政府に対して、広い範囲の責任を求める批判が調査前からあったわけだ。これは国会議事録で確認できる。
従軍慰安婦の強制連行を狭義にとどめない問題意識は、1990年以前から確実に存在していた - 法華狼の日記


そして今月に入っても、慰安所従業員日記が発見されたという毎日新聞記事を受けて、[twitter:@Col_AYABE]氏が強制性を否定する証拠と解釈した上、従軍慰安婦問題の批判が後退しているという認識を示した。

まず日記の解釈からして全体的に不合理だ。
検査についての記述を読めば、「1月 9日 今日の検査の結果、病気だった○千代と○子の2人が不合格で、その他16人はみんな合格だった。」*3などとあるように、あくまで性病蔓延を防ぐ日本軍の都合で検査が行われていた筆致だ。はっきり慰安婦の体調にふれた記述では、「7月17日 昨日、鈴木病院に入院した○子は流産後の経過が良好で、今日、車で帰ってきた。」*4などとあり、充分に体調をおもんばかっているとは思いにくい。
慰安婦が反対したのに軍の指示で慰安所が移転されたことを「それなりに自己主張できる立場だった」と解釈した理由もよくわからない。明らかに慰安婦の願いは聞き届けられておらず、軍が業者にまさる権力をもって慰安所を管理していたた証拠でしかないだろう。
強制性を示す記述としては、借金による拘束を示唆する部分のみならず、「7月29日 <村山氏の慰安所慰安婦だったが、夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという。>」*5という記述まであるのだが、Col_AYABE氏は説明できていない。「一部の都合のいい部分だけをつまみ食い」しているのは誰なのか。
そして少しの中断をはさんで、Col_AYABE氏は下記のようにツイートした。

かつて日本政府が軍関与そのものを認めず、それを根拠として従軍慰安婦問題の調査を行わなかったことは先に指摘した。そこでとりあげた国会議事録を読めば、先に炭鉱労働等での朝鮮人強制連行という枠組みで問題視されており、その未解明な領域として従軍慰安婦が残っていたことも確認できる。何より、戦前日本が日本国民をも抑圧していたことは、慰安所制度の問題点よりも前から日本政府が認めていたはずだ。
あらゆる意味での転倒がここにある。敗戦初期には「一億総懺悔」という言葉で、植民地人をふくむ日本国民全体に、天皇を護りきれなかった責任が負わされた*6。その後に、無差別爆撃や原爆投下や残留孤児といった日本国民の被害が広く認識されていった。呼応するように、日本が他国を侵略し植民地にした責任も認められていった*7。一例として、世界に向けて被爆を訴えた詩人が日本の戦争責任を問い返された経験をうたった『ヒロシマというとき』という詩が、1976年に作られている*8


慰安婦は自由意思の売春婦であるという予断。利用者よりも強く売春婦に向けられる偏見。戦後も残りつづける女性差別。「パンパン」という言葉に象徴される蔑視。さらに第二次世界大戦終結とともにはじまった冷戦という枠組みによって、さまざまな国家の責任がおざなりにすまされた。
そうして注目されなかったために現在まで残された多くの問題のひとつが従軍慰安婦なのだ。さまざまな問題が無視されているのに従軍慰安婦だけが注目されているというわけではない。
冒頭で書いたように、日本が加害国の立場になる問題においては、最初に注目された問題点しか批判を許さない人々がいる。しかし問題はそこにとどまらない。日本が加害国の立場になる問題を注目させたがらないあまり、しばしば日本国民の被害まで忘却してしまうのだ。

*1:たとえば多くのケロイドが熱線によって生まれたが、その症状が長期間にわたって被爆者を苦しめる要因として放射線があるとも考えられている。http://www.manabi-oita.jp/omc/kyouzai/heiwa/page47.htm

*2:ただし「従軍慰安婦」という言葉が雑誌で使用された先例も見つかっている。

*3:http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c2.html

*4:http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c3.html

*5:http://mainichi.jp/select/news/20130807ddm007040157000c3.html

*6:http://kotobank.jp/word/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E6%87%BA%E6%82%94

*7:もちろん敗戦直後からさまざまな媒体で戦争責任は求められていたが、必ずしも公的に正面から責任を認めていたわけではないことを、国会議事録からApeman氏が引用して指摘している。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130811/p1

*8:http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/KURIHARA/hiroshimatoiutoki.html