法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍慰安婦問題を否定するために認知がゆがみきった元朝日記者の前川惠司氏

はじめに、前川惠司氏とは

現在はフリージャーナリストの前川氏は、はじめて吉田清治証言を朝日新聞で報じた記者らしい。1992年から1994年にかけてはソウル特派員だったという。
朝日新聞の前川さんも、頑張ってるなあ! 激励を受けました。僕も負けませんよ!! | 「日韓次世代映画祭」「下川正晴研究室」「大分まちなかTV」ブログ

1990年代初め、新聞社は違ったが、一緒にソウル特派員を務めた。前川さんはサハリン残留朝鮮人の取材に出かけた。この問題で「日本の戦後責任」を説く「朝日式論調」の中にあって、彼は事実調査に基づいて「ロシアの責任」「韓国の責任」を強調する、優れた記者だった。

そして現在は従軍慰安婦問題を否認する意見を公言している。2014年の朝日検証の直後に『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』*1小学館から出した。
朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実 | 小学館
ためしに読んでみると、ある意味で興味深い内容だった。当事者としての責任から逃れながら朝日批判をしようとして、結果として朝日に誤報の責任を問いにくいことが明らかにされている。さらに事実認識においては比較的に正確なため、認知のゆがみが浮きぼりとなっている。

性奴隷を否認しようとして、倫理観の欠落が明らかに

まず、前川氏がそのような態度に出たのは、ヒラリー・クリントン国務長官が2012年に「性奴隷」という呼称をもちいたことに「暗然とした気分になった」ためだという*2

ちょっと落ち着いて考えれば、「性奴隷」と決めつけるとは、朝鮮半島の女性をとんでもなく貶める言葉ではないか。求められれば、宗主国の清に若い女性を送っていた李氏朝鮮の時代でさえ、そんな言い方はなかったはずだ。

そこで2014年4月に亜細亜大学の所報154号へ原稿をよせて、ソウル時代の記憶にもとづく反論をおこなった。
http://www.asia-u.ac.jp/uploads/files/20140730184112.pdf
その反論の一部を前川氏は書籍に抜粋し、さらに要約したものが小学館サイトの書籍紹介に抜粋されている。よほど確信的な反論のつもりらしい*3

私は、ソウルで伝手をたどり、「戦争中に日本兵や日本人警官に無理やり連れて行かれた娘がいたか。そんな噂を聞いたことがあるか」と60歳を超えた友人の母や、新聞社の幹部、元軍人、大学教授などに尋ね回ったが、そんな噂を聞いたという人は、一人もいなかった。ある人の返事は、「日本人が無理やり娘をさらったりしたら、暴動が起きましたよ」

要約のつづきは所報でも読めるし、ZAKZAKの書籍紹介記事でも転載されている。それを読みすすめたところ、あぜんとしてしまった。
朝日新聞の元ソウル特派員が「慰安婦虚報」の真実を告発する (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK

 別の人が言った。

 「酒一升のために娘を売る親はたくさんいました。街の女郎屋に売ったら、娘が稼ぎを渡されるか分からなかった。軍絡みの所なら、稼ぎはちゃんともらえる。だから軍隊の方に売ったのです。売った先が軍の慰安所というのは、せめてもの親心だったのです」

身売り先が日本軍であったという証言は、どのような時代でも擁護しようがない。むしろ人身売買されたことは、奴隷状態の定義をみたす。
性奴隷の定義を無視し「慰安婦は性奴隷ではない」と叫んでも反論になってない - Transnational History
ちなみに国連のクマラスワミ報告も、人間が他者に所有された状態を奴隷とする定義から、従軍慰安婦を性奴隷と認定していた。
クマラスワミ報告書と吉田清治証言と性奴隷認定の関係をめぐるデマ - 法華狼の日記
この証言は匿名であるため信頼性がおちるところはあるが、従軍慰安婦問題で日本軍の責任を問える証拠といってよい。たとえ奴隷の定義を知らずとも、亜細亜大学の所報で「どんな時にも、人は必死で生きなければならない。それしか、人生の答えはない」などとまとめられる状況ではない。
直接的な連行さえしていなければ奴隷ではないという思いこみと、それで日本軍の責任を否定できるという思いこみが、前川氏にこのような見当違いの反論をさせたのだろう。

前川惠司氏がどのように吉田証言を報じたのかが隠されている

さて、前川氏は吉田清治証言を報じた初めての記者と考えられている。もちろん下記の朝日検証でとりけされた記事も書いているはずだ。
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122203.pdf
しかし書籍を読んでも、前川氏がどのような記事を書いたのか判然としない。取材時の印象や疑義は何頁にもわたって書いていて*4、ひとつの証言として興味深い内容ではある。しかし書いた記事が掲載された日時を特定せず、記事の引用もしていない。そのまま証言をのせなかったかのような表現ばかり出てくる*5

 当時の私は、そもそも労務報国会というもの自体、初めて聞くもので、どういう役割をもつ組織なのかを聞いて理解するのにまず懸命だった。
 結局、連載のなかで彼の証言の多くは書かない結果になったが、当時かいた記事を知人に読んでもらうと、
「資料を読めば話せる内容だな」
 と、にべもなかった。

すでに地方版で「韓国・朝鮮人」という連載をおこなっていた前川氏でも、労務報国会について知らなかったようだ。そのような知識で取材していたから、吉田証言への疑義も後づけの印象批評ばかり。
また、前川氏は西岡力氏の主張を引くかたちで、朝日新聞に対して提言している。そこで、やはりどの記事を指しているか判然としないが、ようやく反省するような言葉をつかっている*6

 西岡教授は、国連人権委員会で採択された「日本が人道に反する犯罪をした」との根拠は、ねつ造された「被害プロパガンダ」である吉田証言であり、慰安婦に対する日本政府の謝罪を求めたアメリカ合衆国下院121号決議(07年)などの事実認定でも、吉田証言が証拠として採用されていると主張している。だから、吉田証言を何回も載せた朝日新聞は、それらの記事を国際社会に向かってはっきりと取り消せと訴えている。

愚かな訂正を散々出した雑兵の身としては、余りなことは言いたくないが、ことは日本という国の名誉がかかっている問題だ。世界の65億人に向かって朝日新聞が発しなければならない言葉は、おのずと明らかではないか。

ここで要約された西岡氏の主張は後述するように事実誤認なのだが、前川氏が自身を「愚かな訂正を散々出した雑兵」と位置づけていることはたしかだ。
しかし直後に前川氏は、自身の吉田証言報道の責任を軽減するかのような表現をつかっている*7

 私も半分ひっかかった口なのだが、インタビューというのは、こうした危うさが常に付きまとうことも事実だ。どうしたら防げるか。分からないこと、心にひっかかることは、とことん聞くという基本を守るしかない。

ちなみに吉田証言記事のすべてを要約したり、日時をふせているわけではない。1986年以降の、前川氏がかかわっていないらしい吉田証言記事については、掲載された日時が明記され、記事の文章も引用されている*8。ただし前川氏がソウル特派員として1992年8月12日の会見を取材した時は、それが記事となったかどうかすら明記されていない*9
こうして前川氏自身の記事を掲載しなかったおかげだろうか。Amazonレビューを見ると、反省が足りないという酷評レビューばかりのなかに、吉田証言に騙されなかったという理由で星五つの絶賛レビューがあった。
ちゃんと朝日の嘘を突いている

朝日新聞がいまさら虚偽と認めた吉田清治証言。この著者はその吉田を取材したが、辻褄の合わない吉田証言は記事にしなかった。客観的な取材をして虚偽の証言にだまされない記者は、当然、朝日新聞にもいたんだなーと。

この書籍に吉田証言を報じたことを謝罪するような言葉はない。反省している言葉はあるが、自身の取材がどのように具体的な記事になったのかは明らかにされない。どのように再発を防止できるかも具体性に欠けている。

撤回記事を出した前川惠司氏が、なぜか植村隆氏を批判する

このような前川氏だが、金学順記事で知られる植村隆氏を強く批判している。植村氏は同時代から具体的に取材経過を明らかにして、自身の個別記事を具体的に提示して検証しているというのに。
たとえば、あとがきで2014年8月の朝日検証を下記のように論評している*10

植村記者の「思い出すと今も涙」について、「そもそも金学順さんが騙されて慰安婦になった」と言っていたことが誤報の原因だと主張しているように読める。
 金学順さんが原告となった裁判での記述は植村記者がテープで聞いた話とは違っていることは明らかになっているが、植村記者はなぜ、金学順さんに事情を確かめようとしなかったのか、を検証記事は明らかにしていない。やや乱暴な言い方だが、取材の基本を身につけていないと批判されたとしても仕方がない記者を、複雑な国益がからむ国際報道の一線に送ることが、どれだけ紙面の信用を傷つけるか。付け加えると、誤報を取材相手の責任にして平然とする検証がどれだけ読者の理解を得られるか、は考えて欲しいところだ。

前川氏こそが撤回されるような吉田証言記事を書き、その記事を1997年に事実上の撤回をさせた調査をしたのが植村氏であることを思えば、冗談のような内容だ。
念のため注意すると、朝日検証で撤回されたのは吉田証言記事と、慰安婦と挺身隊の同一視のふたつだけである。前川氏の読解力には大きな問題があるようだ。
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014080516.pdf
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014080517.pdf
植村氏の金学順記事にも慰安婦と挺身隊の同一視はあったが、もとは専門書から引いた用語解説にすぎない。もちろん同時代は他の記者や他社も同一視していたし、記者に重い責任を求めることは難しいところだ。
もちろん金学順記事の全体は誤報とはされていない。第三者委員会の検証でも誤報や捏造とは評価されていない。そもそも金学順氏がキーセンに売られたという途中経過は、最終的に騙されて従軍慰安婦にさせられたことと矛盾しない。録音テープで聞いただけの名前すら出ていない証言と、実名で会見したり裁判した時の証言とで、情報量がちがうのは当然のことだろう。

西岡力氏の陰謀論で生まれた自己矛盾

前川氏は2014年8月号の『正論』で西岡氏と対談した時が慰安婦報道を考える直接のきっかけだったという*11。その対談などでえた情報を根拠に植村批判を展開しているのだが、結果として西岡氏の誤りをあばき、前川氏の認知のゆがみをさらけだしている。
先述したように西岡氏は吉田証言の影響力を過大視するという事実誤認をおかしていた。クマラスワミ報告書は直接的な強制連行を奴隷状態の必要条件にしておらず、吉田証言に言及しつつも依拠していない。国連人権委員会で採択されたのがマクドゥーガル報告書のことであれば、事実誤認が指摘されるのは自民党の荒船議員の発言であるし、やはり全面的な依拠はしていない。
4-2 国連マクドゥーガル報告 | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任

マクドゥーガル報告書に対して、事実誤認があるという批判がなされることがあります。しかし、この報告書はそれまでに日本政府や国際機関が認めた事実を基にしているのであって、新たに事実認定をしたものではありません。また、註において荒船清十郎の言葉を引用していますが、荒船発言が歴史的事実であると確認できないという批判がなされます。

そして、米国下院で吉田証言に言及されていたのは2006年の段階であり、2007年に決議された時は除外されている。
2014 とくほう・特報/「慰安婦」裁判も米下院決議も「吉田証言」を根拠にせず/事実ねじ曲げる「河野談話」否定派の迷走

 「毎日」10月11日付は、米下院決議を起草した関係者や当時の米議会関係者が“決議には吉田証言や「朝日」の報道はいっさい影響していない”と証言していることを報じています。
 「決議作成に関わったアジア・ポリシー・ポイントのミンディ・コトラー所長は毎日新聞に『吉田証言は全く参考にしていない』と語り、当時下院外交委員会上級スタッフだったデニス・ハルピン氏は『吉田証言や朝日報道が審議に影響したことは全くない』としている」

前川氏は1991年の植村氏をはじめとした従軍慰安婦報道を、いったん朝日新聞のキャンペーン記事と仮定して、キャンペーンと示していないことを批判する*12

ただし、この従軍慰安婦関連報道をキャンペーンとするのは無理だろう。どのような狙いで一連の記事を載せているかを読者に説明しておらず、キャンペーンであることを示すワッペンもないからだ。

しかし前川氏自身が紹介しているように、毎日新聞も読売新聞も1991年に挺対協について報じている。社会がそのように動いていた時に報じるのは当然ではないだろうか。そして植村氏が匿名で短く初報道した8月11日の直後、北海道新聞が詳細な実名記事を8月14日に出したことは無視される。なるほど朝日新聞が相対的に熱心だった可能性はあるものの、キャンペーン記事といえるような背景があったと考えて、それを明かしていないことを批判するのは陰謀論だろう。


そうした陰謀論の究極として、植村氏が金学順証言を報じた経緯において、前川氏は西岡氏と『正論』の対談で決定的なやりとりをしている*13

〈彼(植村記者)の奥さんは(従軍慰安婦問題で日本から個人賠償を得ようと日本で裁判を起こした)太平洋戦争犠牲者遺族会会長の娘、つまり会長の義理の息子だったのです。金学順さん(※原告の元従軍慰安婦の一人)の裁判の当事者の身内だったわけです。自分の肉親に関わっていることだからこそ、公正であるべきでしょう。これは本人のみならず、デスクなり上司の問題でもありますし、そうであればなおさらに厳しく誤報には訂正を出さないと誤解されますよね〉
 私は、まぁ、それはそうでしょうが、普通なら関わらないでいるのが常識だろうが、家族の情が絡んでしまう韓国社会のことを教授は良くご存じでいらっしゃるのだから、「武士の情け」で誤報の問題とは別に見ていただきたい、と応じた。ところが西岡教授に、
〈植村記者が遺族会の身内であり、彼の誤報慰安婦問題に火をつけたという論文を、「文藝春秋」92年4月号に寄稿しました。その後、この論文の内容が朝日車内で問題となったため、植村記者は朝鮮問題から離れテヘラン支局に異動になったと聞きました。(略)ところが、97年に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書問題をきっかけに慰安婦問題で論争が起きると、朝日はふたたび植村記者をソウル特派員に呼び戻しています。朝日新聞は反省していなかった〉
 と逆に切り返されてしまった。

これは西岡氏が主張しつづけている陰謀論だが、義母の団体と取材した団体が異なることや、同時代に明かされていていた取材経緯から、朝日検証でも第三者委員会でも問題はないという結論だった。
対する前川氏は「家族の情」をもちだして、擁護するようなかたちで陰謀論を追認している。1997年にソウル特派員となった植村氏が、前川氏の吉田証言報道を修正する立場になったことを思うと、なかなか味わいぶかいやりとりだ。
そして自身の朝日報道への疑問を裏づけるように調査をはじめた前川氏は、高木健一弁護士に取材した。もちろん連携などしていない植村氏の報道の経緯などわかるはずもなかったが*14

「知らないよ。だって私らは太平洋戦争犠牲者遺族会や日本の支援団体の日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会、臼杵敬子代表)と一緒だったから。元々、金学順さんは、挺対協と相談していて、私らが話を聞いたのは、あの年の秋、11月ぐらいになってからじゃなかったかな」
「そんなに遅かったんですか」
遺族会と挺対協の仲は良くなかったしね。私だって挺対協の事務所にも行ったことはあるけど、尹貞玉さんに会ったことはないですよ」
 従軍慰安婦を挟んで、韓国の2つの支援団体の仲の悪さは有名だ。

「植村さんはもう、遺族会の会長の娘さんと結婚していたのではなかったですか。なら、義母さんのライバルの団体にテープを聞きに行ったというわけですか。そんなことして、義母さんのご機嫌を損ねなかったかな。それに、よく挺対協の情報が耳に入りましたね。彼は大阪にいたんですよ」
「何か、あちこち聞いて分かったんじゃないの」

西岡氏とのやりとりと高木氏とのやりとりをくらべると、前川氏が自己矛盾におちいっているとわかる。前川氏の事実認識においても、西岡氏の陰謀論はなりたたないはずなのだ。
それでも前川氏は西岡氏の主張に疑問をおぼえない。家族の情になど植村氏は左右されないとは考えない。なぜ義母と対立する組織に取材したのか首をかしげつづけるだけ。
どれほど前川氏は認知をゆがませてしまったのか。意識的にせよ無意識的にせよ、それが恐ろしい。

おわりに、前川惠司氏には鏡を見てほしい

この書籍において、前川氏が取材した記憶や、関係者にまつわる印象論は、ひとつの証言としては興味深い。しかし、信頼するには前川氏の認知がゆがみすぎていて危なっかしい。
たとえば福島瑞穂氏や松井やより氏が不都合な証言をさまたげたと批判した2014年5月25日の産経記事を受けて、前川氏は高橋喜久江氏に会いにいったという*15。高橋氏には否定されたが、前川氏は「思い通り会議で話したい気持ちを無理やり抑え込んだのが事実なら、ひどい話ではないか」と結論した*16。しかし産経報道こそが関係者に事実誤認を指摘され、誤報だったと部分的に認めているのだ*17。つまりは「分からないこと、心にひっかかることは、とことん聞くという基本」を忘れ、せっかくの取材を自分で信じられなかったための過ちだ。
そして前川氏は、従軍慰安婦を「性奴隷」と呼ぶことが被害女性にとっても好まれず、韓国にとっても恥ずかしいことだと主張する。たしかに被害を正確に表現するためであれ、必ずしも被害者が望む表現になるとはかぎらない。それどころか被害を指摘すること自体が、必ずしも被害者には好まれない。しかし、これは書籍の章タイトルをならべて引用するだけで、前川氏が韓国社会をどのように思っているか、明らかになるだろう。

一章 私が見た「慰安婦虚報」の真実
二章 慰安婦報道を徹底検証する
三章 強制連行の虚構を生んだ韓国の拉致文化
四章 おばあさんたちを傷つけているのは誰だ
終章 日本は世界にどう訴えるべきか

特に三章と四章のならびがすさまじい。章タイトルは編集がつけて著者がかかわらないこともあるらしいが、このような書籍を出しながら下記のように主張する前川氏の神経をうたがう*18

植民地にされた悔しさと日本の面子をつぶしたい気持ちは分からない訳ではないが、同胞のおばあさんが、憎さ千倍の日本人から「性奴隷」と呼ばれたのに怒るどころか、そうだそうだとあちこちに、「私たちのおばあさんは性奴隷だったの」と言いまわっている姿はいかがなものか。韓国の普遍的人権とは、そうなのか。とどのつまりは、同胞を貶めていることにならないか。

「性奴隷」という言葉が被害者を貶めていることに直結させるのは、性的被害を穢れとみなす前川氏の問題ではないのか。

*1:以下、特に断りなき引用枠や頁番号はこの書籍から引いたものとする。

*2:22頁。

*3:23頁に同じ記述があるが、小学館サイトとは文章の前後がいれかわっている。また、所報に掲載された原稿から表現などがいくつか削られている。

*4:25〜31頁。

*5:30頁

*6:44頁。カギカッコ内が「加害プロパガンダ」でなく「被害プロパガンダ」なのは原文ママ

*7:44頁。

*8:25〜40頁。

*9:41〜43頁。朝日検証に掲載された記事では「小田川興」の記名が確認できるが、日時が同じであることから、この記事の取材に前川氏も参加したと思われる。

*10:219〜220頁。

*11:14頁。

*12:85頁。

*13:66〜67頁。

*14:89〜90頁。

*15:180頁以降。

*16:187頁。

*17:産経「歴史戦」連載の一部訂正 事実誤認の指摘受け | GoHoo

*18:173頁。