法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

機会平等ではないリレーは日教組の陰謀?

[twitter:@mcys3479]氏による下記ツイートが拡散しているらしい。

一読して首をかしげるのは、「近道」を通ることができる条件が不明瞭であること。足が速い者だけが近道を通れないというなら、その基準はいつ誰が決めているのか。
書かれてあるツイートを読む限り、近道があるのは「リレー」である。もともとチームスポーツなのだから個人の体力差が完全に反映される競技ではない。「近道」のような追加ルールがなくても、チーム別けの時点で個人では挽回できない実力差が発生しうる。


そこで関連するツイートを読んでいくと、あっさり疑問は氷解した。

まず上記ツイート一連でmcys3479氏の立ち位置ははっきりしたようなもの*1。ツイートの口調を見る限り、自身がPTAとして熱心に教育へ参加している様子ではない。
そして読み進めていくと、やはり「ショートカットリレー」「一発逆転リレー」等の名前で知られる機会平等な競技にすぎないと判明した。

つまり個々人が自身の力を見定め、足の速い者が足の遅い者を助け、チーム全体で最適な勝利を目指す競技である。ならば「速い子」が「近道」をほぼ使わないのは当然だろう。むしろ最初のチーム別け時に発生する機会不平等を、「近道」で抑制する効果すら期待できる。
いわば駅伝において得意な地形を個々の選手にわりふったりするようなもの。私が学校運動会へ参加したのは昔のことだが、当時でもアンカーだけが二周走るとか、能力が高い選手を活躍させるようなルールが採用されていたものだ。
はたして「トップで来た学年イチ速い男子」が泣いた理由は、本当に「近道を走った子にゴール直前で抜かれ」たためなのだろうか。近道を他の選手へゆずり、チーム全体を引っぱろうとした者ゆえの涙ではないのだろうか。

あくまで想像だが、騎馬戦がないのは単に危険だからではないかと思う。
ぬるい競技ばかりになっているのも、政治家が日教組攻撃することにかまけていて教育現場の負担改善に力を入れず、体育祭を盛り上げようとする力を教員から奪っているからではないだろうか。


ざっとmcys3479氏の主張を読んでみたが、「日教組」や「左翼」がどのように運動会の競技を決定しているのか、それをどのような形で知ったのか、はっきりしない。気に入らない教育は全て日教組の責任と考えるような陰謀論にしか読めない。パターナリズムを導入したようにも見える競技を左翼の陰謀といわれると、どうにも首をかしげざるをえない。
そもそも運動会の競技全てに全員が参加できるわけがない。休憩時間も必要だからだ。どこかで必ず得意分野のわりふりが生まれている。「近道」の存在を機会不平等だと文句をつけるなら、運動会など存在しなくてもいい。体力テストで100m走等がある時に授業参観すればいいだけだ*2。ショートカットリレーを批判する理由が「盛り上がり」では、真に子供の機会平等を考えているというより、あくまで競技を見る保護者としての感覚でしかないと感じられる。


また、盛り上がりがないとすれば、おそらくルールがわかりにくいことが大きな原因だろう。ルールの理解できないスポーツを見てもおもしろくはない。一般論として、近道をとおる時に、チームごとにわりふられた回数を消費したことを視覚的に演出するべき、等の提案はいえる。
ちなみに個人的な話になるが、私は地区で開催している体育祭運営へ参加している。競技選択や参加者へのルール説明で毎年のように苦労しているものだ。新味を出しつつ観客にも参加者にも楽しんでもらえて、運動が得意な人にだけ偏らないような競技は大変なのだ。

*1:プロフィール欄の「父の愛国心に心打たれ、私も愛国心に目覚めました。美しい日本の人の心、歴史を子供たちに伝えて行きたい。仕事、子育て、旦那の育成に爆走しているアラフォーママ。歴史、政経天文学を勉強中。教育問題改善の活動を始めています。反日は許しません。大和魂を忘れず!J-NSC会員。」という記述から予想される範囲内だが。

*2:たいていの公立学校は授業参観日でなくても授業参観をある程度まで受け入れているはず。自信がないので現役教員のid:filinion氏にidコールして質問させてもらう。