法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『輪るピングドラム』01 運命のベルが鳴る

魔法少女の、これから〜
輪るピングドラム』を見た。面白かったが、ネタバレをできるだけさけながら少々の公式情報だけで予想していたものとは、大幅に違っていた。初回を見た限りでは、『少女革命ウテナ』というより『ミラクル少女リミットちゃん』的な何か。
監督と連名でシリーズ構成に名を連ねている伊神貴世は、雑誌『創元推理21』に掲載された短編を読んだことがあるはずなのだが、記憶に残っていない。
初回は著名なアニメーターも集まっていたが、全体的に脚本と演出が要求する水準へ作画や美術が応えようと、限界寸前であがいている感じがした*1


以下、予想していたり期待していたネタを散漫にメモしておく。
まず、高慢な魔法少女に貢ぐことで、側にいられる権利をえようとする少年少女が主人公という可能性を考えていた。未来の自分を視聴者へ幻視させる女児向けと違って、深夜アニメの視聴者は魔法少女と自分を同一視しにくいだろうから、いっそアイドルみたくあつかえば面白いかと思った。魔法少女的な存在がそばにいる男性を主人公にした物語ならば、『奥様は魔法少女』他の先例がいくつかある。
次に、魔法少女を大人になりたくない子供たちとして描くのではないかと思った。さまざまな古典や童話をモチーフにしてきた魔法少女だが、記憶では『ピーターパン』を明確にモデルとしたものはない。逆に名作劇場ピーターパンの冒険』では後半のオリジナル展開で魔法や少女をめぐる戦いはあった。これは初回を見た限り、全く構図が違うので大外れと見ていいだろう。
変身に際して、マスコット動物が魔法少女の着替えを担当するのかなとも思った。魔法少女服を着るものとして解釈した魔法少女の先例としては『おジャ魔女どれみ』シリーズや『カードキャプターさくら』があり、マスコット動物が魔法少女の格好にかかわる作品としては『ハートキャッチプリキュア』がある。それを延長して、リアルな獣頭の八頭身紳士へ変身したマスコット動物が、魔法少女にかしずくようにふるまうってのはどうだろう、と考えたのだ。物理的なガジェットと組み合わせて変身シーンを見せるところは当たっていたといえなくもないが、映画『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』の延長線にあるといえばそれまで。脱いでいくという趣向も全くの予想外だった。
最後に、シリーズ構成の予想として、運命の出会いとか前世少女とか奇跡とか、過去の魔法少女が描いてきた美しい夢を叩き潰す物語を描く。そうして凄惨な物語を好む思春期層を引きつけた後、残酷さや苦労や努力や忍耐の要求を現実性と混同する思想を後半で叩き潰す。あるいは、その逆で奇跡と抑圧の両方を否定すれば、現代的な物語になるかもしれないとか思っている。どちらか一方に寄せた作品なら少なくないが、両方を描いた作品はまだ多くない。「きっと誰にもなれないお前たち」という台詞から、両方を描くかもしれないと期待してみたい。

*1:もっとも、幾原邦彦監督が実名で関わった近年の作品は、作画リソースが充分なものが多いわりに、特筆したくなるような演出は少なかった。作画リソースや美術リソースがあればいいというものではないか。