法華狼の日記

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『百花繚乱 サムライガールズ』雑多な感想

こことは異なる世界で、こことは異なる時代を歩んだ「大日本」。忠義の対象とキスをすることで、超常的な戦闘能力を発揮する少女達。その少女達はマスターサムライと呼ばれ、侵略者から大日本を守り続けてきた。
そのマスターサムライの血を引く少女達がいる学園へ、柳生宗朗という青年が来るところから物語が始まる。


初回の感想ではアバンタイトルに引っかかってしまったが、最終回まで見て、ぎりぎりアリだと感じた。
『百花繚乱 サムライガールズ』第壱話 はじめての忠 - 法華狼の日記

冒頭で、主人公達の生きる地域「大日本」を「美しい国」と呼び、その美しさを羨み欲した列強諸国が「悪鬼羅刹の侵略兵器群」でおかそうとしていると語られる。

歴史修正主義に直結する欲望があるというより、かなり無自覚に表現しているように感じられる。ひねりを入れずに美しい国として日本を描いてしまう自己愛と、現実の歴史を素材として用いる創作技法を安易に組み合わせることで、無駄に被害者意識な世界観が作られてしまった。

当初は物語が進むにつれて外国と戦うことになると思い、実際に外国で策謀をめぐらせている徳川慶彦の存在がにおわされていたが、キャラクターは学園から出ることがなく話数を重ねるばかり。
単なる引きのばしを超えて足踏みする物語に首をかしげた中盤に、外国人マスターサムライをつれた徳川慶彦が帰国。予想通りに柳生宗朗達と対立するかと思えば、意外と大きな衝突は行わず、逆に敵と戦うために共闘をせまったりもする。徳川慶彦はマスターサムライの血筋を回復させようと人体実験まで行うが、それは大日本を守る大義のためであり、最期には虐げていた外国人マスターサムライに対して隠していた愛情を吐露する。ちなみに、徳川慶彦が脅威に感じて策謀をめぐらし、柳生宗朗達が最後に戦った敵も、外国そのものではなく国内の反乱者だった。
つまり、初回アバンタイトルはミスディレクションであり、そこで示された世界観は主人公と対立する側の思想だったのだ。せっかくなら、初回アバンタイトルのナレーションが徳川慶彦と同じ声優が担当するくらいのしかけもほしかったかな。いずれにせよ、被害者史観が他者を虐げる理由にも使われる危険性は、きちんと物語の流れで示されたと評価できる。


最終回に描かれた別離も、あえて余韻を断ち切るような潔さ。中盤までの遅々とした物語には他の方法があったのではないかと思うが、シリーズ全体では納得できる展開だった。
逆に残念だったのが、水墨画調のフィルター映像が、当初の驚きが終わると見づらさばかり感じたところ。後からフィルターをかけたためか背景映像が薄っぺらく平面的で、奥行きを強調する今日的なレイアウトとの相性が悪かった。画面のしあがりが平面的になることを意識したコンテを切ってほしかったところ。
1クールという短さもあって、キャラクター作画は大きく崩れず安定していた。しかし先述したように物語の舞台が学園からほとんど出ず、キャラクターの服装も変化せず、各話もバラエティに富んでいたとはいいがたく、統一された作画は逆に変化の面白さを失わせた感もある。もっと映像の雰囲気に波があればTVアニメらしい意外性が生まれて楽しめたのではないかと思い、もったいなかった。