法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THE LAST SONG』第15話 宇宙を臨むもの

超人ガールズバンド「エンジェルスターズ」の一員だった遙アキが、つぎつぎに超人を殺していた。星になった恋人を追いかけるため、宇宙生命体フューマーをさがしていたのだ。
遙アキを超人課から助けた人吉爾朗は、フューマーのおこなっていた陰謀と現状を語りだす……


遙アキがバンドを辞めさせられた原因についての会話が、素晴らしくポリティカル・コレクトネスだった。

「不祥事?」
「あらあら、大人になってもその辺はわかんない?」
「わ、わかりますよ! あ、あれでしょ、アイドルなのに、男のひとと、その……」
「男とは限らないけどね」

この政治的に正しい会話は軽口で終わらず、人吉爾朗とフューマーのドラマにもからみついていく。
正義など存在しないと考えて恋人を求めつづけた遙アキ。人間であるという自認よりも正義を求めるようになった人吉爾朗。非主流派ゆえに存在を否定された者同士が結末で衝突し、その怒りが時系列をこえて、主流派をあやつっていた外部の流派を倒す力となる。


超人課をぬけた人吉爾朗は、三矢准一議員をはじめ、三人の有力者にフューマーが憑依していることを知る。高度に進化した精神として、フューマーは人類を管理しようとしていた。そのために人類と超人を区別しようとする三矢議員の政策がねらわれた。
死体に憑依して陰謀をめぐらせていたフューマーを、人吉爾朗は怒りにまかせて倒す。ただし、かつて超人課の課長だったフューマーは人吉爾朗に憑依して、能力の制御を助けた。これが未来の時系列で能力を制御できていた理由だった。


つまりフューマーは分断統治をおこなおうとしていたのだ。あたかも戦後日本に進駐した連合軍のように。
そして、アラクネという芸名だった遙アキは、ファニーという芸名だったバンドメンバーと恋人関係にあった。そのメンバーの訃報をつたえる新聞記事には、朴埜真里という名前が記されていた。
しかし遙アキは宇宙を目指していた。ただ自由を求めてのことかもしれないが、あるいは朴埜真里の訃報は偽りで、宇宙へ帰ったのかもしれない。そうでなくても宇宙人なのかもしれない。ならば朴埜真里という戸籍名も通名かもしれない。
さまざまな非主流者のアナロジーが超人なのだとすれば、宇宙人とは外国にルーツをもつ者のアナロジーと考えていいだろう。フューマーの陰謀で三矢研究*1が引用されていることも、芸能活動していたファニーの戸籍名も、物語と現実の政治的立場に合致する。そう考えるとガールズバンドが時流になびいて、主流派と非主流派の両方に協力したことが味わい深い。課長フューマーも味方になったのではなく、もともとパターナリスティックな善意を持っていたのだろう。



もちろん今回の脚本も會川昇。前回に恋心を踏み台にして移動魔法を利用したように*2、人吉爾朗の身勝手ぶりは明らかなのに、超人課の女性陣が女性に優しいかのように評価している描写が笑えた。単に女性観がひどいというより、人物の思慕を物語の道具として自覚的に利用している。ここまではっきりしていると個人的には嫌いになれない。
コンテとメカ作画監督大塚健。感情のままフューマーを倒した中盤と、巨大化した遙アキとの葛藤をかかえた格闘とで、それぞれシンプルなカット割りで充分に見せ場をもりあげていた。特に中盤の中村豊作画が映像技法として珍しく、印象深かった。比較的にカメラワークが小さく、人物の動きも服をなびかせるのみで、ただ色面積の変化だけで心情の衝突を表現する。