法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

阿久根市壁画問題を3行でまとめる

このあたりの話。
デイリーポータルZ:日本一のシャッター街・阿久根
阿久根市はインターネット「ネタサイト」の見世物小屋か!? - 見たり聞いたりしたこと
阿久根市のあれ - まずまずのダム日和
正確には3行ではないが、あまり気にしないでほしい。

紹介者の意図はどうあれ、どのような紹介もプロパガンダである。それを紹介者が自覚しているならば、むしろプロパガンダ性が読み取られていないという具体例の指摘は感謝してもいいくらいではないか。

それはそれとしてダムマニア関係の記述が誤っているならば指摘されて当然だし、逆にプロパガンダと指摘する際に紹介者の意図を読み取る必要もなかった。

著作権をおかしていてこそ素晴らしい作品もあるだろうが、商業利益を上げるため多くの人目にふれるべき観光資源とは相反する。阿久根市に好意的であればこそ、大手メディアは紹介をためらってしまうのではないか。

そもそもシャッターアートのように店を閉めた状態でないと楽しめない観光資源ってどうなのか。

いわゆる「誰得」な壁画であるため気づかれにくいが、もし市長派と反市長派という対立が制作場所の選択に反映しているならば、典型的な利益誘導政治ではないか。そうでないことを示すためにも制作場所の選定は透明化しなければならない。

そもそも反市長派と市長派が色分けされた光景そのものがグロテスクと思うのだ。


私自身の「アート」に対する評価は下記エントリ参照のこと。
「芸術家は独裁者の無理解をおそれるべきではない。独裁者が一人の芸術家であることをおそれるべきである」 - 法華狼の日記
ちなみに「デイリーポータルZ」の記事も、その政治性に注意深く読めるならば興味深い情報として意義があったと思う。著作権をおかしたアートを避けていることも、それが記者の選んだ表現ということだろう。プロパガンダポジショントークも不可避なのだから、それ自体は悪でも嘘でもない。プロパガンダポジショントークという前提を持たずに表現へ接することがあやまちなのだ。
ただ、前記したdambiyori氏エントリの写真に対する反論は、明らかに著作権にふれる作品をさけているという論点への言及がない以上、無効だと思う。

あと、写真がどうのこうのという話ですが、何年も一人で取材して写真とって記事書いてるライターの写真と普通の人が資料用に撮影した写真の写りが違うのは当然でしょう。「腕のある人が撮った写真はきれい」という当たり前の事実を陰謀論的に解釈されてもなぁ、と。それに、7月の朝と1月の朝じゃ日光の具合が確実に違います。しかも今年の年末年始は全国的に荒天だったのですから、写真に影響が出るのは当たり前と。