法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

強者が弱者に嫌がらせをするという「スラップ訴訟」の「特徴」は、絶対的な「定義」ではないよ

著作が引用をめぐって訴訟された石川優実氏だが、一審では全面勝訴した。
弁護士ドットコム記事によると、記者会見で石川側弁護士が「一種のスラップ訴訟」と表現したという。
石川優実さん勝訴、本で紹介した「#KuToo」批判ツイートは「著作権侵害」にあたらず - 弁護士ドットコム

石川さんの代理人をつとめた神原元弁護士は次のように述べた。

「他人の文章を一部引用して批判することはよくある。それを『こういう趣旨ではない』『ここを切り取られては困る』ということもよくあるが、すべて違法だったら著作権法の引用が不可能になってしまう。専門家の間で意見が分かれるものではないし、声を上げた女性の口をふさぐ、一種のスラップ訴訟ではないか」

「一種」と留意しつつ表現の自由をうばう恫喝訴訟と評したわけだが、このくだりに対して反発する意見が複数ある。


まとまった文章として、「神崎ゆき@yuki_birth」氏のnote記事が少し注目を集めていた。
差別問題に蔓延する「ソリテス・パラドックス」|神崎ゆき|note

『#KuToo 本』の裁判は「スラップ訴訟」とは言えない、という結論に至ります。

 スラップ訴訟の基準を満たすには上記の「①〜⑤」の全てに該当する必要があるのです。

 スラップ訴訟という概念は、社会的弱者が社会的強者に対抗するための概念でした。そのために、定義が明確化されて対策が講じられたのです。

まず重視されているのは、内藤光博氏によるWEBronza記事*1から引用した5条件で三つをしめる、原告が「企業や政府」といった強者という条件だ。
たしかに一般的にスラップ訴訟とは、企業や政府などの強者が、立場が弱い一般人の表現を抑圧する手法ではある。
スラップ訴訟とは - コトバンク

個人・市民団体・ジャーナリストによる批判や反対運動を封じ込めるために、企業・政府・自治体が起こす訴訟。恫喝訴訟。威圧的訴訟。いやがらせ訴訟。スラップ。

冒頭で紹介した弁護士ドットコム記事へのはてなブックマークでも、力関係を根拠にスラップ訴訟という表現を批判するコメントが複数ある*2
[B! 著作権] 石川優実さん勝訴、本で紹介した「#KuToo」批判ツイートは「著作権侵害」にあたらず - 弁護士ドットコム

id:nomitori “一種のスラップ訴訟ではないか” 原告の肩を持つ気はないが、弁護士が一般の人がおこした訴えにこのラベリングすんのは流石に行き過ぎちゃうか

id:sds-page どっちが企業か、どっちが個人か理解してスラップ訴訟って言葉使ってるのか?

[B! 弁護士] [B! 著作権] 石川優実さん勝訴、本で紹介した「#KuToo」批判ツイートは「著作権侵害」にあたらず - 弁護士ドットコム

id:tikuwa_ore 判決内容には特に物申す事はないが、「一般人が芸能人を訴えたケース」を「男性が女性を訴えたケース」に置換した挙句にスラップ訴訟呼ばわりするのは、さすがに度が過ぎてる。被害妄想ってレベルじゃねえぞ。

しかし一般人側が政府や企業をうったえる形式でさえあればスラップ訴訟にならないかというと、必ずしもそうではない。


実例として、在米日本人の市民団体が原告となり、米国の市を被告としてうったえた裁判で、「スラップ」と認定されたことがある。シノドス記事を紹介しよう。
グレンデール市の慰安婦像裁判は、なぜ原告のボロ負けに終わったのか / 小山エミ / 社会哲学 | SYNODOS -シノドス-

早く決着したのは、被告グレンデール市の請求にこたえ、裁判所が今回の訴訟をSLAPP(strategic lawsuit against public participation 直訳すると「市民参加を妨害するための戦略的訴訟」)と認定したからだ。

日本の人々から多額の寄付金を集めているとはいえ、あくまで一般市民である原告が、地方自治体であるグレンデール市を被告として訴えた裁判であり、SLAPPが認定されるのは異例だといっていい。

グレンデール市のあるカリフォルニア州では、下記の4条件のひとつでも満たした表現であれば、「公の問題について政治参加や言論の自由を行使した」と認められる。

1)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく公式な会合における、口頭もしくは文書による意見表明。

2)立法・行政・司法もしくはその他の法に基づく公式な会合で議論されている件についての、口頭もしくは文書による意見表明。

3)公共の問題について、公共の空間で行われた、口頭もしくは文書による意見表明。

4)その他、公共の問題について政治参加もしくは言論の自由の権利の基づいて行った行動。

そして「公の問題について政治参加や言論の自由を行使した」だけなのに、「訴因のうちどれか一つでも、もし原告が訴える事実関係や法的正当性が証明」を原告が示せなければ、スラップ訴訟と裁判所が認める。
原告と被告の力関係がスラップ訴訟を認める要件とは書かれていない。無理筋な裁判を起こして、被告や司法に無駄な手間をかけさせ、被告の言論を委縮させる問題がスラップ訴訟なのだ。


権力者は無理筋な訴訟を起こしやすく、一般人は弱くて委縮に追いこまれやすい。しかし一般人でも濫訴をおこなうことはあるし、著名人や出版社でも委縮に追いこまれることはある。
日経記事においても、スラップ訴訟の特徴として力関係ではなく、無理筋な訴訟という部分を重視した説明がされたことがある。
その提訴は「スラップ訴訟」? 判断のポイントは: 日本経済新聞

勝訴の見込みがないのに、相手への威圧などを目的として起こす訴訟は「スラップ訴訟」と呼ばれ、米国では規制する州もある。

また、シノドス記事は一審判決の段階で「ボロ負け」と表現していることにも着目されたい。原告が控訴するだけで無理筋な裁判という評価ができなくなるわけでも、スラップ訴訟と認定できないわけでもない。
公開されている一審の判決文を読むかぎり、石川側の主張が全面的に認められている。訴訟費用も原告負担で、「原告の請求は、その余の争点について検討するまでもなく、全て理由がないので、これらをいずれも棄却する」*3とまで結論に書かれている。
私なら判決確定まで断定はさけるが、被告側が無理筋な訴訟と評することは一般的にも許されるだろう。


なお、内藤氏の出した5条件で残りふたつは、表現や言論に対して内容ではなく形式を問うかたちで訴訟し、議論を深めるのではなく抑圧することとなっている。
石川氏やその著作への批判を原告は裁判で主張せず、引用の形式ばかり問うた以上、条件に当てはまる。ゆえに「神崎ゆき@yuki_birth」氏の下記評はまったく同意できない。

 また、この裁判の争点は原告の訴訟以前から、原告以外にも非常に多くの人々が声を上げていた批判点と合致しています。よって、この訴訟は問題に直接関係あるものと言えるでしょう。

内藤氏のいう「争点となっている公的問題」は、今回の裁判では「#KuToo」をめぐる論争やその背景の社会にあたると解釈するべきだろう。
そこで運動の根拠となる事実関係などを問わずに著作権を問うのであれば、まさに内藤氏のいう「直接関係のない」「民法上の不法行為」を攻める訴訟だ。


その形式を問う内容も、検索で大文字小文字を区別しないツイッターで「KuToo」と「kutoo」の違いが大きいとは思えないし*4ハッシュタグとして半角にしていないことだけでは「#KuToo」への言及ではないという原告の主張*5の根拠にはならないだろう。
また、直接的なリプライでなくても運動への批判的言及をふくめて「クソリプ」と表現することを明示している以上*6、その書籍ではそういう語義と読者が理解して読むものだろう。
私個人はもっと厳密な言葉づかいが好みだが、相手に通知がいかない言及を「エアリプ」と表現することも珍しくなく、自分への言及をサーチする「エゴサ」という言葉が検索一般まで指しがちな現在、出版のさしとめを求める根拠としては弱すぎるとも思う。

*1:webronza.asahi.com

*2:力関係以外の側面から「スラップ訴訟」に疑義をとなえたコメントも多数あり、それは今回の批判対象ではない。また、反論するコメントも複数ある。

*3:判決文ノンブル28頁。 http://www.gendaishokan.co.jp/goods/goodsimg/1052.pdf

*4:一般的な書籍の引用であれば、むしろ原告側が運動で用いられている表記を誤記したと判断されて修正されそうにすら思える。そもそも「当時の原告がハッシュタグの付け方を正確に理解していなかった」ことも原告は認めているようだ。判決文ノンブル11頁。

*5:判決文ノンブル13頁から引用すると、「ツイートは、被告石川や本件活動に対するものではなかった」と原告は主張したという。たとえ会話相手への呼びかけでも「賛同者」という言葉を選んだことから、運動を間接的に指していることまでは誰も否定できないと思うのだが。

*6:ハッシュタグをわざわざつけたバッシングツイート」も「いわゆる"クソリプ"」にふくめている。判決文ノンブル5頁。