法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

周回遅れでコミットメントする意味

先月末に熊森協会へ言及したエントリについて、id:salmo氏から問いただされた。
熊森だけじゃないほかも問題だ!・・・それで?誰に向けてるの? - ならなしとり
主として、私の文章が曖昧ではないか、批判を向けた対象が何なのか、その主張は周回遅れにすぎないではないか、といったことが問われた。以下、順をおって返答していく。


まず、私の主張を要約しての問いについて。

「熊森だけじゃない他の餌やりも問題だ!なぜ熊森批判者は目を向けない!」

「そんなの分かってるけど?分かり切った指摘を最前線の人間に向けることに何か意味があるの?」

2つの記事の文面を見る限りでは「熊森批判者は餌やり問題が持つ普遍的な問題に目を向けていない」と読み取れましたが。

誤読でありtrivial氏にも弁護していただいたが*1、salmo氏のように読解することも不可能ではないかもしれない。はてなブックマーク*2等を見ても、同様の読解が少なからず行われているようで、私が舌足らずであったことは認めざるをえない。文脈をエントリ内ではっきり書いておくべきだった。
ただしsalmo氏自身も後半で「これは誰に向けて書いたのでしょう?」と質問しているように、「熊森批判者」「最前線の人間」「急先鋒」を私が批判どころか名指しすらしていないことは注意しておく。私が明示的に批判した対象は、主としてテレビ朝日系2番組と、熊森協会をふくむ一般的な餌づけだ。
私の日記に自然保護関係のエントリは少なく、そもそも想定している読者は熊森協会への熱心な批判者ではなかった。しかも「身辺雑記」カテゴリに入れているように、最初に熊森協会へ言及したエントリは直接的な言及をしていない私的な背景もあって、第三者へのわかりやすさを比較的に意図していない*3


次に、最初に熊森協会へ言及したエントリを中心として、釈明していく。
熊森協会だけが特別に批判されるべきと思えないのだが - 法華狼の日記

あまり熊森協会関係の議論は真面目に追っていないのだが、TV朝日の『報道ステーション』が好意的に報じていたというのだから、実際のところ問題視しない人が多いのではないか。

最初に「真面目に追っていないのだが」という表現が不快にとられたことは謝罪しておきたい。今回は、コミットメントしてこなかった私が熊森協会に言及するという導入としての必然性もあったが、文脈を提示していないので第三者には意味が通じず、無用な不快感を与えてしまった。
また、私自身は「不真面目」と「不誠実」を別けて考えており、前者は必ずしも問題視するべきではない態度と考えているのだが*4、そのような私的な感覚を説明しないまま社会問題にかかわる文章で用いるべきではなかったとも思う。せめて「深くコミットメントしてこなかったのだが」といった表現であれば、まだしも文脈がわかりやすかったかもしれない。


さて、この最初のエントリでタイトルを「熊森協会だけが特別に批判されるべきと思えないのだが」としたため、あたかも熊森協会だけを特別に批判しているかのような者に対して私が異議をとなえたと読まれてしまった。
しかしエントリ本文では、熊森協会をふくむ餌づけ一般、そして熊森協会を好意的に報じた報道を批判したつもりであり、後日のエントリでも「注視して批判すること自体を否定したいわけではない」と補足した。つまり、熊森協会だけを特別に批判している人に問題があるといいたいわけではないことは自明と思う。
私がエントリタイトルを書いた時点で意図していたのは、熊森協会に問題があるか否かではなくて、熊森協会の問題へのコミットメントを要請できるか否かということ。問題があるからといって、必ずしもあらゆる立場からの批判を要求できるわけではない。社会の問題全てに対するコミットメントを、一般人に対して求めることはできない。
しかしコミットメントを強制できないことを前提としつつ、コミットメントにいたる様々な道筋を用意することには意味があるだろう、とは考える。それゆえ、同日のエントリでマンガという表現が社会問題を広げる媒体となる危険性について現場の話を引いたり*5、その前振りとして熊森協会とは直接の関係がないが同根の社会問題と繋げたり、といった流れでエントリを上げたわけだ。これまで深くコミットメントしてこなかった私自身が、熊森協会へ言及していく道筋を自ら作って実行するという意図もあった*6
また、社会問題が存在しているのに社会運動が盛り上がらないということと、社会問題が存在していない*7のに社会運動が盛り上がってしまうということの対比関係も念頭にあった。ゆえにエントリ末尾で啓発運動の意義へ言及するという構成にした。

実際は無力どころか逆効果であっても、具体的に何かをしていれば善行であるかのように自分を納得させられる。自身の無力さに具体的な理由をつけようとして、強大な黒幕を妄想してしまう陰謀論者と発想の根底が同じ。何か具体的にしている姿が映像として使えるのだから、優先して映像で報道されることも自然。
具体的に何かをしたいという気持ちには応えたいとしよう。そこで少なくとも逆効果にはならない方策として、啓発運動を行うという選択肢もある。だからホワイトバンド千羽鶴といった運動には、啓発それ自体とはまた別の効能もあるのだ。むろん啓発だけで終わってしまう危険性など、実践において賛否はあるだろうが。

社会問題と社会運動の関係については、熊森協会の問題とは別個に以前から何度か書いてきたことなので、私自身が読み返すには充分だった。これも説明不足の一因だろう。
問題が存在することと問題視するべきということの違い、そしてそれぞれの関係性は、しっかり説明しておくべきだった。


最後に、私の主張が周回遅れにすぎないという指摘について。
周回遅れという指摘自体は全く正しい*8。しかし周回遅れであること自体が何かしら問題であるとは思えない。周回遅れが批判されるのは、終了して次の段階へ進んでいる問題を蒸し返したり、周回遅れでありながら最先端だと自負するような認識の誤りが見受けられる場合だけだろう。
私のエントリは、過去に全く同様の主張があっても成り立つどころか、むしろ妥当性の傍証となるはずだ。実際にsalmo氏のブログでも『報道ステーション』で熊森協会が登場したことに対し、批判者の伝達力も不足していたというエントリがあった。
熊森のドングリ運びに憤る人たちへ - ならなしとり

熊森の行為は外来生物問題を作り上げ、遺伝子撹乱や病害虫の伝播などのリスクを含むのは保全生態学を学んだ人間にとってはだれの目にも明らかです。許せることではないし、専門家を名乗る人間、組織がやっていいことでもありません。
ただ、熊森のこのような行動が受け入れられてしまう背景には保全生態学者をはじめとする保全にかかわる人間が遺伝的多様性の重要性についてうまく伝えられていないせいもあるのではと思ってしまうのです。

しかし深くコミットメントしてきたsalmo氏らの文章ならば内省として機能するが、コミットメントしてこなかった側が引けばそれこそ熊森批判者への攻撃として機能する危険性があり、能動的な紹介はためらわれたところ。しかし今となっては、これを引くことで周回遅れの表明となり、過去の熊森批判を私が否定しているわけではないこともわかりやすくなったかもしれない、と後悔もしている。
ただし、コミットメントの遅さは批判の理由になるとしても、コミットメントすること自体への批判にはなりえない*9ことだけは注意しておきたい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/trivial/20110101/1293862227

*2:http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/micropterusandsalmo/e/d78175f743b851db4fc1657f91a4f94f

*3:もちろん公開している日記である以上、誤りへの批判は望むところであって、拒否するつもりはない。

*4:アニメ感想などでは、肯定的に用いることもある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101015/1287243816

*5:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101225/1293294757

*6:だからエントリタイトルは、コミットメントをしていなかった時点における私の内面も意味する、ダブルミーニングだ。なお、浅いコミットメントならば、自然保護活動と啓発運動の関連で熊森協会へ批判的に言及したことがある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100216/1266335792のコメント欄参照。

*7:熊森協会が想定しているような形では存在していないということであって、熊と人間の生活圏が重なることでの衝突などが存在していないというわけではない。

*8:エントリ全体では、餌づけを好意的に映した番組の具体例を紹介していること等で独自の意味があるとは考えているが。

*9:少し前にあった都条例反対運動の衝突でも、似たような論争があった。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20101215/1292476863