法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

回天で元気が出るなら隗より始めよ

悪評紛々な『元気のでる歴史人物講座』の中でも、あまりにひどすぎて驚いた。この文章のトピックスのどこが歴史や考古学だというのだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100804/acd1008040751002-n1.htm

 神風特攻とともに米軍を震撼(しんかん)させたのが人間魚雷による回天(かいてん)特攻である。魚雷を改造した1人乗りの特殊潜航艇に1550キロの爆薬を積み敵艦に体当たりする攻撃である。

 この特攻兵器を創案し、回天特攻の訓練に全身全霊の超人的努力を傾注し、昭和19年9月6日、訓練中に真っ先に殉職をとげたのが黒木博司(ひろし)海軍少佐である。時に22歳。

 黒木はなぜ回天特攻を思い立ったのであろうか。黒木は大東亜戦争を「日本の天命」と捉(とら)え、「神武肇国(じんむちょうこく)以来の最大国難」と見、「一度敗れなば永久に世界より抹殺される」と観じた。それゆえ日本を滅亡させないためには「必死の戦法」をとる以外なしと思った。黒木は遺書にこう記している。

 「必死必殺に徹するにあらずんば、而(しか)も飛機(ひき)において早急に徹するにあらずんば、神州不滅も保(ほ)し難しと存じ奉(たてまつ)り候(そうろう)」

 黒木は回天特攻だけを考えていたのではなかった。航空機による方が効果は大きいのである。黒木は自己の立場からまず回天特攻を自ら敢行することにより、海軍あげて航空特攻に立ち上がる礎たらんと願ったのである。

 黒木は「海空一体となって敵に殺到する以外に絶対に皇国を護持するの道なしと信ず」と述べている。「今や今死もて仇(あだ)うつ他(ほか)に何皇国(すめくに)護る道あらめやも」と詠み、「皇国興廃の責我にあり」と述べた黒木少佐たち特攻勇士の捨身殉国が、祖国を亡国より救う礎となったのである。(日本政策研究センター 主任研究員 岡田幹彦)

どのような「日本政策研究」を行えば、このような結論を導くのだろうか。現代日本でこのような記事が仮にも大手新聞に掲載されている事態には、こちらが震撼する。
いや黒木博司海軍少佐はまだいい。それこそ当時の日本社会をおもんばかれば、判断材料も少なかったろうし、単純に言葉通りに受け取らないという擁護もありうる。それを考慮した上で同時に批判することも可能だし、むしろ黒木少佐のためにこそ批判するべきだとも考えるが。
しかし現在になって戦時中の考えを無批判に称揚した上、自己犠牲を賛美する岡田氏には、全く擁護する余地が思いつかなかった。