法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

それって作画の論点なのかな

うつのみや理インタビューではなく『けいおん!!*1の例ね。
うつのみや理の脱力・無意識表現と「けいおん」 - まっつねのアニメとか作画とか*2

上の絵は意識して手を振っているのに対して
下はその後、手から意識が抜けた、無意識を表現している。


けいおんはこういう「意識⇒無意識」みたいな流れの動きが非常に多い。
勿論、こういう表現はうつのみやショック以降ありふれていますが、
けいおん」ではあらゆるアクションでこれやっている印象があるくらい多用しているというのは
大きな特徴と言えるんじゃないかな

ともすれば無駄として削られがちな日常芝居を入れていく、というのは演出の意図だろう。コンテ段階でも監督チェックで削除されたり*3、時には編集で切られたりする。
そういう必然性があまりない日常芝居を入れていくから京都アニメーション作品は豪華に見えるし、物語の必然性で切り取られている範囲外にもキャラクターが存在していると思わせる。その方向性が見られるのは『けいおん』だけではない。たしかTVアニメ『AIR』第3話だったか、主人公が靴を履いて無言で部屋を歩いていく長回しがあった。それが逆にテンポが重たくて緊張感も欠けるように感じさせもする。
ちなみに、よく意味不明な日常芝居を入れる例とされる出崎統演出だが、カット尻に無駄な芝居を残すようなことはあまりない。変な芝居は目立つように見せ、日常的な芝居は会話を続けながらさりげなく見せて時間を食わない。止め絵演出と関連しているといえるかもしれない。


また、物語に必要な描写が比して尺が長いTVアニメの先駆としては、『エスパー魔美』がある。通常の藤子Fアニメなら半パートで描くかアニメオリジナル展開を入れるところ、ほぼ原作そのままの物語を描きながら尺を伸ばしている。
こちらは作画で日常芝居を追うのではなく、カットを足していくことで日常を多く切り取っていく*4。作画でキャラクターの動作を描いていく京都アニメーションと違い、キャラクターが住まう社会を構築していく。
原恵一監督の演出が最もとがっていた時期の作品であり、パクキョンスンや須永司望月智充*5等の演出家も活躍している。今はインターネットを使えば無料で楽しめるし、興味があればぜひ見てほしい*6

*1:見返していないが、2期だよね。

*2:本題とは関係ないが、私の環境だと上下ではなく左右に並んでいるように見える。

*3:映画『WXIII 機動警察パトレイバー』絵コンテで、会話シーンの終わりでコーヒーを飲む芝居とか、ことごとく×印がついていたのには笑った。

*4:ただしアクションは多くなく、同ポジ等でカットの節約もしているので、総カット数自体は他のアニメに比べて多くないだろうと思う。しっかり調べたわけではないが。

*5:必然性がさほどない日常芝居を描いてキャラクターの魅力を引き出すTVアニメ演出家としては、先駆的な存在だ。

*6:第1話は長期間無料。初回だけのアバンタイトルからして面白い。http://gyao.yahoo.co.jp/p/00714/v07576/