法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『サマーウォーズ』で最も不要なキャラクターは誰か

確信している答えがある。描写量が多くて、制作リソースも消費しながら、よく考えると映画の展開にさほど寄与していない少年。
そう、『サマーウォーズ』にいらない子はカズマだ。


ほとんど葛藤がなく巻き込まれるばかりの主人公。映画の中で最も葛藤と抑圧が集中する侘助。2人の間で関係性を取り持ちつつ敵を追いつめるヒロイン。
比べてカズマは、他者との関係は師匠くらいであり、存在しなくてもキャラクター相関に影響を与えず、しかし主人公と違って物語が進んでも他者との関係はほとんど変化しない。大家族の中で周囲と距離をとって生活しているが、侘助と違って周囲と反発しているほどではないので、葛藤のドラマはない。敗北による挫折も集団劇の中で流され、勝利しても大勢に影響はなく、見知らぬ者からは応援されるだけであってヒロインのように支援されることはない。
一見すると主人公もドラマにおける必要性が薄いが、観客の疑問を代弁する視点人物として、大家族に入り込み変化し変化させられる来訪者として、それなりに映画で重要な役割をはたしている。他のキャラクターと代替可能という観点でいえば、警察官が氷を運ぶ必然性がなく、大祖母の葬儀を優先する女性陣が行なってもいいくらいか*1


主人公と侘助とヒロイン、この3人の役割とカズマの役割は重なりつつ、物語展開に必要な要素はない。ならばカズマの出番は消去する代わりに3人で分担して、キャラクターを整理することは可能だろう。結果として個々のキャラクター描写量を増やすことができ、たとえばカズマと主人公の代わりに侘助と主人公が会話するような場面も作ることができる。オーソドックスな三角関係の完成だ*2
さらに、やたら高い技能を持つキャラクターが狭い人間関係に集中する御都合主義を、一人分だけでも減らすことができる。
ついでに師匠も、主要キャラクターとかかわることで存在感が増すだろう。それが侘助にせよヒロインにせよ、不肖の弟子という構図から始まり、後半の協力で弟子を再び認めるというドラマにできる。あえてそういうドラマを排除するなら、OZ内で互いにそれと知らず主人公と主従関係を結んでいるという真相を用意し、小さなサプライズを演出しつつ家族に迎える心理的説得性を増すことも可能だ。


アニメとしての見せ場でもある格闘戦は誰が担当するか。なくてもいいが*3、あえて格闘戦を入れることにして考えても、カズマが必ずしも必要でないことがわかる。
まずOZでアルバイトしている主人公が技能を活かして戦ってもいい。アバターを取り戻すことと、敵に対抗できる能力の獲得が結びつき、本来のアカウントが重要であるということを物語で示せる。
侘助が独自の意思で謎のキングとして家族とは別個に戦い、後に合流する伏線にしてもいい。観客にもキングの正体を隠しておけば、真相が明らかになった時に侘助が心底から悪人でないことがわかりやすいだろう。
もちろん花札の前哨戦でヒロインが格闘戦をしてもいい。最初からOZ内の有名人であればクライマックスにアカウントを託される説得力も増すだろう。あるいは強くても人気のないアバターが、がんばる姿を見せることで信頼をえるドラマにするか。


むろん、カズマの人気は極めて高い。映画全体への評価が低くても、カズマの魅力は高評価する意見が散見される。細田守監督も少年のフェティッシュな魅力をインタビューで語っていた。失われることで映画の魅力が減じることは考慮しなければならない。
しかし人気あるからと安易に出番を増やすようでは、まず映画は成り立たない。
何より、子供から大人へうつりかわる時期の少年を、物語と密接に描くことができる場面は現時点でも存在する。そう、回想で描かれている子供時代の侘助だ。周囲と距離をとって電子に耽溺する少年という位置づけは侘助の、無邪気な子供時代と家を飛び出す青年時代、その中間にぴったり当てはまる。


リメイク元と目されている映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は、8人もいる主要キャラクターを整理し、4人だけ事件に直接かかわるように脚本構成したことで、物語の密度を高めつつ状況をわかりやすく描写することができた。比べて『サマーウォーズ』の構成は全く整理ができていない。
ちなみに同じ観点から、TVアニメ『ガサラキ』で最も不要なキャラクターは西田啓だ。最も魅力あるキャラクターであったために、他キャラクターの出番を奪うどころか、主人公の存在感を完全に覆い隠して作品の主題まで変化させてしまった。実際に西田がほとんど登場しないマンガ版は、歴史を越えて異星人の遺産に翻弄される少年少女を描いた伝奇物語となっており、完成度が高い。
つまるところ、魅力あるキャラクターと物語に必要なキャラクターは違うのだ。

*1:警察官をフォローする描写を入れる余裕がない以上は決定的な過ちを描写するべきではないし、女性陣には世界よりも大祖母を心配し男性陣の行動を知らないという前振りがある。だが本心をいうと、死体とサーバーをめぐって男性陣と女性陣が氷を移動させあうブラックコメディを見たいだけだったりする。

*2:映画の設定を最大限に尊重するなら、どちらの男もヒロインを現実的な恋愛対象と思わないだろうが、むしろそれはヒロインが事件を通して自己を確立するドラマを駆動させる。

*3:アニメとして映えるように花札や暗号解読を演出できるなら、格闘戦は不要だ。逆に、大祖母は薙刀をふるっているのだし、武家の家系を自称している旧家なのだから、花札を出さずに格闘戦で賭けをしても、家族で受けつがれるものを表現することは可能だったろう。