法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

最後の・のび太がジャイアンを抑止するには? 抑止の外交

ドラえもん』で主人公のび太の成長が描かれている話の一つとして、「ドラえもんに休日を!!」*1という回がある。
秘密道具がほとんど登場しないことによる独特の空気が印象的で、古くから名作と名高いが、近年のアニメ化ではアニメオリジナルストーリーへの繋ぎとして扱われた*2。いずれ原作の味わいを活かしたアニメ化がされることを望みたい。


さて、「ドラえもんに休日を!!」はドラえもんの存在しない状況における自立が主題となっており、ドラえもんとの別れを描いた「さようなら、ドラえもん*3と共通する部分が多い。しかし、一度は最終回として描かれた「さようなら、ドラえもん」は保護が失われることによる成長と自立が描かれており、現実の国際政治に当てはめにくい。せいぜい保護国からの独立といった限定的な状況が近いといえるくらいか*4
のび太がジャイアンを「抑止」するには? 抑止の種類 - リアリズムと防衛ブログ

 まずは最もベーシックな形として「懲罰的抑止(deterrence by punishment)」が考えられます。体を鍛え、勇気をだして、ジャイアンに負けない強い男の子になります。ジャイアンが無法にも殴りかかってきたならば、殴られっぱなしになるのではなくて、必死になってやり返すぞ、という姿勢を見せます。果敢に反撃してジャイアンをやっつけられるか、勝てはしないまでも、引き分けくらいにはできる程度に強くなります。

と、このように論理的にうまくいけばいいのですが、なかなかそうは参りません。なぜなら国力には限界が、抑止には相手があるからです。自国だけでは十分な抑止力を形成できない場合や、お互いに抑止し合うことでかえって国際的緊張が高まり戦争の蓋然性があがってしまうなど、いろいろ不都合なケースがあります。国際社会はたくさんのプレーヤーが存在するゲームですから、なかなか自国の思う通りにはいかないのです。

そう、のび太が見せた勇気は一夜の奇跡と成長であって、物語が続けばジャイアンとの関係が再構築される。のび太は体を鍛えたわけでも知恵を発揮したわけでもなく、深夜に寝巻き姿のまま出歩いていたジャイアンと遭遇し、からくも撃退できただけだ。「帰ってきたドラえもん*5では、いつものようにジャイアン達がのび太を笑いの対象とし、のび太ドラえもんが残した秘密道具で復讐をしようとする。復讐の結果としてむなしさを覚えるあたりが物語の白眉なのだが、その話は省くことにしよう*6


敵対国家とのとの対立を抑止するだけでは国家関係は成り立たない。
続・のび太がジャイアンを抑止するには? 抑止の発展 - リアリズムと防衛ブログ

 ジャイアンは一番強いから、脅威でもあるけれど、味方にすれば頼もしい存在です。だからどちらを選ぶべきでしょうか? 実際の国家も、このように他国の力の大小に着目して、いろいろな行動をとります。その動きの連鎖が国際社会をつくっています。抑止論の話は今回で一区切りとして、次回はこの点をとりあげる予定です。

戦闘で敗北しても外交で勝利すれば戦争に勝てるし、外交が下手であれば戦闘が巧みでも戦争には勝てない。抑止するための費用や手間をできるだけかけず、敵を味方へ引き入れ、できれば資源や加工品の輸出入で利益をあげたいところだ。


そこで先述した「ドラえもんに休日を!!」の主題が重要となってくる。
のび太ドラえもんへ休みをあげることにし、呼び出すための秘密道具を持たされたが使わないことをジャイアン達へ宣言する。一種の軍備規制といえるだろう。そして具体的に災難にあわないよう気をつけようと考える。現実でも、戦争や災害を発生前に対策できるならそれにこしたことはない。たとえば日本は敵対する可能性がある国家と地続きでなく、海岸線も入り組んでいる時点で地形的に侵略されにくいことで有名だ。
それでもジャイアンは「のび太のくせになまいきな!」*7というだけの理由で殴りかかってくる。もっとも、のび太に理由を聞かれただけで考え込んでしまう状態で、「おれから逃げるには、ドラえもんをよぶしかないぞ」*8と口にするくらいに暴力が主目的でないことは明らかだ。秘密道具不使用を宣言したくらいだから、ジャイアンと暴力以外の関係性を結べることは最初から示唆されている。
そしてスネ夫からだまされたり、爆走するダンプカーの荷台へ飛び乗ったりした後、安全な自宅へ帰ろうとしたのび太は大きな脅威へ直面する。それはジャイアンスネ夫に似た2人組だった。のび太は道で出会いがしらにぶつかってしまい、人気のない場所へつれていかれてしまう。背後ではジャイアンスネ夫が様子をうかがっている。どうやって脅威から抜け出すだろうか。


勝ち目のない敵に対し、のび太がとった行動は驚くべきものだった。

軍備放棄。

無防備都市宣言

意図せぬ支援。


この後、ジャイアンスネ夫が戦う姿は描かれず、何も知らないドラえもんへ「平和な一日だったよ」*9と笑って終わる。
こうして、のび太は一番長い日を切り抜けることができた。架空の物語と断ずることはたやすい。しかし、休日が終わればドラえもんが戻り、明日もジャイアン達と登校する終わらない日々を描くという意味で、この回には独特の現実味がある。それは根本的に成長しえないことをマンガの構造として義務づけられた主人公が、持っている能力や周囲との関係性で困難を乗り越える姿だ。
肉体的な強さの変化や、障害物の排除によって成長を描く物語とは一味違う。主人公が成長するなら周囲も成長する。際限なき強さの勝負はいつか頭打ちとなる。弱き者も日常を生きるのだということを自覚的に描く、後期藤子F作品ならではの一編といえよう。


念のために書いておく。何が軍事的に正しいとか、基本そういう話ではないからね。あくまで子供の日常を描いたマンガについて、前振りに使わせてもらっただけ。

*1:単行本第35巻収録。ちなみに同時収録では、情報戦が扱われた「大砲でないしょの話」、ディーゼル式潜水艦のごとき苦闘が楽しい「ゼンマイ式潜地艦」等も、軍事という観点から読むことができるだろう。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080829/1220129518

*3:単行本第6巻収録。

*4:日本と米国の関係を思い出せば近い気もするが。

*5:単行本第7巻収録。

*6:近年にアニメ化された時の感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090320/1237762970

*7:115頁。

*8:116頁。

*9:120頁。画像引用も同じ。