法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』町内突破大作戦/映画ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史/ゆめの町ノビタランド

「ありがとう!30周年 今夜かぎりの春のドラえもん祭」として放送された3時間スペシャル。今年の映画宣伝と昨年の映画、新作中編とテレビ朝日ドラえもんの第1話再放送という、様々な見所があった。
しかし不満点もいくつか。特に、リニューアル後で初の「ノーカット」*1映画放映とされた『映画ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』が、EDが放映されなかったことは批判せざるをえない。ED映像や主題歌が放映されなかったという問題とは別に、もう少し重い論点がある。
本日のニュースから : ネット版 アニメレポート -Anime Report-

かつて、テレビ朝日で放映された国民的人気アニメ「ドラえもん」も、ビデオ化された時、アニメーターやペインターの個人名がカットされました。(10年前くらい)
また、現在では他にも、アニメーション作業の要とも言える作画・背景・仕上のスタッフ名を表示しない作品が見られます。

アニメーションというのは、多くのスタッフ1人1人の力で(しかも日本では法外な労働条件で)出来ており、また、スティッチやディズニー作品は子供にも大きな影響を与えている作品なのに「テレビで名前を載せる、あるいは削除する」この基準をいったいどこに置いているのでしょうか。

もちろんインターネットを使えばスタッフクレジットの確認はできるのだが、アニメ制作者が軽視されがちという問題の根本的な解決にはならない。
……いや、結論が簡単に出ない番組放映形態への文句はさておいて、作品本編の感想に移ろう。


「町内突破大作戦」は原作でも後期の短編をふくらませたもの。先生に怒られて下校が遅れた上、神成さんの家へジャイアン達の使っていたボールを投げ込んでしまったため、のび太ジャイアン達に追われて帰られなくなってしまう。使える秘密道具は通信機械と障害を表示する地図だけ。のび太ドラえもんの指示に従って家へ向かおうとするのだが……
まず、神成さんの家にボールが飛び込んだ時、実は枯れた盆栽の鉢を壊しただけで、虎の子の盆栽は無事だったというアニメオリジナル描写がある。微妙なギャグと思っていたら、それこそが重要な伏線だった。
のび太は中盤で神成さんと再会、サッカーボールを蹴り入れてしまった今度は冤罪だったこともあり、きちんと謝罪して許してもらう。しかし足を痛めた神成さんは、虎の子の盆栽をコンクールへ出しに行けなくなった。謝罪のためにも、のび太は自分がコンクールへ盆栽を持っていくことを決める……つまり中盤から、盆栽を運びながらコンクールへ間に合うよう町内突破するタイムサスペンスへ変化する。原作では事件の発端でしかなかった神成さんの問題を回収しつつ、主人公をとりまく状況を緊迫させるという改変は、なかなかうまい。
さらにジャイアン達も、自転車を投入する等のアニメオリジナル描写が入り、主人公を追い込んでいく。そして自転車が階段を上れないことをついたり、段ボールをかぶって移動したり、トラックの荷台に隠れていたら出発しそうになったり、敵味方が互いに知恵をしぼり、サブタイトルの「作戦」に恥じない内容ある追跡劇がくりひろげられる。公園と池、コンクール会場前の商店、コンクール会場の高台など、町がゲーム盤のごとくしっかり描かれていることも、追跡劇のリアリティを生んでいる。
ついにコンクール会場でジャイアンに捕まり、のび太は盆栽を放り投げてしまうが、それを巧くボランティアがキャッチしてからの展開も地味に説得力がある。なるほど、商店を経営しているジャイアンの母なら、こういう町内イベントのボランティアへ参加していても全く不自然ではない。
そのまま原作通りのオチに繋がる流れも自然で、今回は適度に原作を活かした良いアニメ改変が楽しめた。


『映画ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』は旧作のリメイク。原作マンガにしかないギラーミンとの決闘を描いていることが売りの一つ。ただし、登場してすぐ合理的な対処方法でドラえもん達を苦しめるという原作マンガや旧作とは、かなりキャラクター性が異なる。決闘へ物語を収束させようとしてギラーミンの出番を多くした分、毒を川へ流す作戦で失敗したり*2、アニメオリジナルキャラクター「モリーナ」がらみで役者を演じたり、小悪党な印象も残る。
モリーナのキャラクターも感心できなかった。ギラーミンと決闘した後、コア破壊装置の無力化、さらには父との再会まで描写され*3、ロップル達のドラマを食ってしまっている。結果として、映画全体も散漫になってしまった。ガルタイト鉱業を嫌悪しているのにギラーミンの口車に乗せられてしまうのも、御都合主義と感じられた。口車に乗せられたことと、そのフォローで、さらに尺を圧迫してしまっているのも印象が悪い。感情を出した長い演技が多いのに、素人が声優をしているのもつらい*4のび太達に助けられるだけでいいのか、という観点を言葉として表すキャラクターとして良い面もあったし、キャラクターデザインも悪くはなかったのだが。
細かいところとして、チャミーが後先を考えない、いかにもマスコット的なキャラクターへ改変されている点も気になった。序盤の無茶なワープからして、原作ではロップルが決断してチャミーが責めるという描写だったのに、今作ではチャミーがワープボタンを押して、少し得意げに笑う演技までつけられている。一見するとマスコットキャラクターのようで、実は大人びた女性らしさがあるからこそドラえもんの相手としてふさわしいと思っている原作ファン*5からすると、かなり不思議な改変だ。終盤でも、ロップルが決断してチャミーが止めるキャラクターだからこそ、ロップルが山へ向かいチャミーがドラえもんの助けを呼ぶという、原作の構図がアニメ独自の性格描写で崩れてしまっている。
それから、SFらしさが薄れてファンタジー性が増していることも気にかかったな。ガルタイトという架空鉱石によって発展した文明という広がりがなく、ガルタイト鉱業が悪徳企業として発展している様子も原作マンガほどはうかがえず、本当に宇宙を舞台に西部劇を翻案しただけとなってしまっている。それでいて、雪の花を保安官バッジに見立てる細かい独自描写は入れているのに、警察は事件が解決した後で助けに来るだけだから騎兵隊到着の高揚感がない。あと、赤い月と青い月が交互に出るコーヤコーヤ星で、同時に2つの月が出る夜に大洪水が発生するという原作通りの説明がないと、星を覆う大津波の原因が潮汐力ということがわからない。
コンテは腰繁男監督、楠葉宏三総監督、やすみ哲夫。いささか凡庸というか、最近の劇場アニメとは思えないほどレイアウトがゆるい。決めのカットがバストショットばかりでTVアニメを見ている気分になるかと思えば、キャラクターの日常動作を長い1カットで処理する演出は半世紀前の劇場アニメみたいだ。
スターアニメーターの参加数は減っているが、うつのみや理が新たに参加していたりして、あいかわらず作画は良い。しかし作画の良さがコンテの凡庸さを際立たせてしまっている面もある。どちらかといえば、今回で印象に残ったのは3DCGかな。奥へカメラを移動するカットが多く、川面で巨大な葉っぱに乗って語り合う場面などは印象に残った。
……悪くはないというか、見ている最中は普通に楽しんでいたのに、例年以上に文句が多くなってしまった。以前の放映では長々と批判エントリを書いたが*6、やはり個人的には最大公約数を狙った『新・のび太の宇宙開拓史』より、不恰好でも挑戦していた『のび太と緑の巨人伝』が好みなのだな。


「ゆめの町ノビタランド」はDVD化もされているし、初期ドラえもんでは見返しやすい一本。私もほとんどのシーンに見覚えがある。しかしOPや本編終了後のアイキャッチまで放映してくれたことが嬉しい。唐突に古臭い作品が入ったのではなく、きちんとパッケージされて番組内作品として提供された味わいがある。
作画や演出も古き良きAプロらしく、リミテッドアニメの楽しみが強い。かなり崩した絵も多いが、動きの多さと楽しさが存分に味わえ、クライマックスの大破局も巨大感充分な構図で描かれる。『ウエストサイド物語』をパロディした場面も、何度見ても楽しい。音楽とのマッチングや、背景美術で繋いで1カットに見せるコンテは、現在の目でも遜色ない。

*1:http://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/contents/topics/backnumber/0199/top.html

*2:原作マンガでは、ギラーミンが登場する前に現場で行われた作戦だった。

*3:時空のゆがみを活かした展開は独自のサスペンスも生んでいて、悪くないと思うが。

*4:せめて幼いモリーナを演じた堀江由衣が、成長後も担当していれば、ギラーミンの口車に乗せられた過ちも説得力をもって演じられたかもしれない。同じ素人声優でも、原作キャラクターのクレムでは、幼い少女ということもあって、舌足らずな演技でも許せたのだが。

*5:……そんな原作ファンが他にいるのか、私が変なだけなのか、不安になってくるが。

*6:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090206/1234104399