まず、画の質感と実感が等号で結ばれると仮定しよう*1。
切り絵を用いるノルシュテイン作品や、その弟子筋がガラス板に絵の具を塗って美術画が動くような世界を作った『老人と海』といったアニメ技法では、手間も時間もかかる。
日本で最も目にする機会が多い商業アニメでは、動かすために情報量を落としたセル画に、動かない背景画を組み合わせた映像がほとんどだ。人物や小物類はセル画で描かれるため、それだけでは質感が表現されにくい。
そこで、アニメらしく動きで質感を表現することとなる。落とした時の弾み方、撫でた時の引っかかり具合、触った人物の仕種や表情、そこへ音響が加わり実在感を演出する。宮崎駿監督が得意とする、アニメの原理に最も近い技法だ。
しかし、全てのアニメが余裕ある動きを作れる制作体制ではないし、物語や演出の要求で人物を動かせないことも多い。動かすことがあっても、周囲の物体に接触しなかったり、音を出さなかったりして、質感が表現できないことも多い。
セル画を動かせない時、どのようにして質感を表現すればいいのだろうか。
前述したように、のっぺりと塗られたセル画では、質感を表現することが困難だ。押井守監督が映画『人狼』のプロテクトギアについて語った言葉を引くまでもないだろう。
そもそも質感情報を抑制し、集団作業で前後の絵を統一しやすくするため、誰が塗っても同じ質感になるセル画が用いられているのだ。前後の絵を切り替えて動きを作るアニメを、集団作業で作る限り、原理的にセル画で質感を表現することは困難だ。
そこで、多くのアニメは、セル画と違う方法で質感を表現しなければならなくなった。
この質感表現という観点で見ると、出崎作品と押井作品に、アニメ演出の光と影〜押井と出崎のレイアウト〜 - 法華狼の日記*2とはまた違う特徴が感じられる。
出崎統監督は、エントリタイトルの発想で、止め絵ハーモニー*3を多用した。それと引き換えに、連続したアニメ映像へ異質な絵柄が入ることとなり、ともすると現在では嘲笑の対象となる。むしろ違和感を利用したギャグ演出として用いられることも多い。象徴的な事例として、映画『劇場版AIR』と同時期のTVアニメ『AIR』では、ギャグシーン*4で止め絵ハーモニー処理を行い、ファンから受け入れられていた。
押井守監督は、異質な映像表現を作品に取りいれるが、それを意図的な異化効果として見せる。質感を表現するためだけに異なる技法を混ぜては、異化効果演出が薄れる。そこで止め絵ハーモニーの代わりに、背景美術で情感を表現しようとしたのだろう。そう考えれば、セル画と背景美術、両方の下書きとなるレイアウトを重視する作風は、出崎演出からの素直な進化と思える。押井監督は実際にも、画面を占める割合はセル画部分より背景美術が多いから重視する、といった発言をしている。
少なくとも現在では押井監督の手法が主流に近い。だが、新しい様々な試みも行われている。
まず、セル画でも描線で質感を表現する試みは昔からあった。
しかし、映像に使われる描線は動画という役職が、原画の下書きをなぞったものだ。作画の根幹に関わる原画は、動きや構図を決める作業までしか制御できず、描線の質感を残しにくかった。
しかし、デジタル制作が一般的になった現在では、原画の線を残すアニメも出てきている。
やや作業量が増えるが描線と塗りを別々に作業し*5、最後に組み合わせることで描線の味わいを残す手法は、けっこう普遍的に見られるようになった。『ホーホケキョ となりの山田くん』、『アニマトリックス』の大平晋也、リニューアル後の映画『ドラえもん』等で用いられており、熱心なアニメファンでなくても見る機会は多い。
作業が簡略化されたことで、動画や撮影まで個人で行う吉成鋼や山下省悟といったアニメーターも登場してきている。まだ通常の手法で制作された前後のカットと違和感は出てしまうが、あえて演出として取り入れた『WHITE ALBAM』等では良い表現となっている。
色で質感を表現しようとしても、かつては絵の具一つ一つを調合しなければならず、複雑で多様な色使いをすることには限界があった*6。
しかし、これもデジタルならば思い通りの色を使うことができる。
たとえば細田守監督は、映画『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』について、キャラクターの線を減らした代わりに色の数を増やして画面の情報量を増したと語っていた。
さらに、一様な色をのっぺりと塗らず、テクスチャを張っていくことで、セル画を絵画的に見せる手法も発展してきている。TVアニメで『岩窟王』が美意識に満ちた映像を貫いて以降、『モノノ怪』『墓場鬼太郎』『源氏物語千年紀 Genji』等で一定の成功を上げてきている。最新の『源氏物語千年紀 Genji』は出崎監督のこだわりで、動く人体に合わせて衣装のテクスチャを動かすという手間をかけ、美術画が動く映像へ相当に近づいたという*7。
あと、撮影で質感を足す手法もある。
セル画と背景画を組み合わせて撮影する時、波ガラスや各種フィルターを用いたり、光を射しこませたりする。出崎監督が多用し、映画『イノセンス』以降で押井監督も回帰している表現方法だが、けっこう最新のアニメファンにも違和感なく受け入れられているようだ。
最近はデジタル撮影なので、特定のセル画にだけグラデーションをかけたりも可能となり、キャラクターの頭髪などで用いられている*8。
ただ、質感を足しつつ統一性を失いにくいだけに、突出して印象に残る作品や演出が思い出せない。今後の宿題としておこう。
*1:我ながら無茶な仮定だとは思う。大きくぶちあげたものの、セルアニメで質感を表現しようとしてきた歴史の、個人的なまとめとして書いたというあたりが本音だ。
*2:作画を用いる際の差違についての話は、いずれ補足エントリを上げる予定。
*3:基本的にセル画で描かれるキャラクターを、背景美術と同様に描く技法の一つ。
*5:セル塗りを人力で行っていた時代と違い、デジタルでは線が明確でないと塗れないという事情もあるので、古典復帰という見方もできるか。
*6:絵画塗りした切り絵を動かす手法は商業アニメでも少し用いられ、『風の谷のナウシカ』王蟲やOVA版『聖戦士ダンバイン』オーラバトラーのような例がある。しかし手間がかかり、違和感があるためか、人間キャラクターにはほとんど用いられていない。
*7:実は、まだ見てないので、どこまで成功しているかは何ともいえない……
*8:ここまで来ると、色を塗る代わりにテクスチャを用いる手法と区別しにくい。事実、『墓場鬼太郎』はテクスチャと撮影フィルターを併用して、美術的な画面を作っていた。