法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

最後の橋本カツヨは、出崎統というより山内重保だった

オマツリ男爵と秘密の島』だが、名義こそ細田守監督なものの、個人的に最後の橋本カツヨ作品と思っている。そして、これは出崎統作品よりも、全面的に山内重保作品を想起させる内容となっている。実は私は、細田監督自身の言ほど、作品から山内監督らしさを感じることが少ない。しかし、『オマツリ男爵と秘密の島』は本当によく似ていると感じる。
具体的にも、物語の構造と、それにともなう背景の変化が、映画『デジモンアドベンチャー02 前編・デジモンハリケーン上陸!!/後編・超絶進化!! 黄金のデジメンタル』と酷似している。
事件の発端となる回想が来て、主人公は異世界のような雰囲気がある作中現実に入りこみ、動機が不明な相手から戦いをいどまれ、戦っていく間に仲間を失っていき、やがて敵も仲間を失って孤独を抱えていることを知る……要約すると珍しくもないプロットだが、これはシリーズや原作の約束を大きく逸脱した展開だ。仲間という存在を要点にした物語だというのに、人気あるレギュラーメンバーは早々に退場し、ゲストキャラクターと仲間になることがクライマックスとなる。
個々の戦いは作画も演出も力が入っているのに、徐々に爽快感が薄れていく。あたかも内面世界へ突入するように、敵の能力によって世界が変わり、デザイン的な空間が最後の舞台となる。そして地獄めぐりを思わせる旅の果てに、主人公が仲間を取り戻した途端、友情をはぐくみ直す間もなく、物語は唐突に終わる……
どちらも興行的に成功したとはいいがたく、シリーズ作品の中では一段落ちる。シリーズのコアなファンからの人気も低い*1。作画や演出の注力ぶりはアニメファンから高評価されるが、作品全体の評価は高くない。
しかし作品から情念を感じたのは、『デジモンハリケーン上陸』だった。『オマツリ男爵と秘密の島』はジブリから解任された実体験がこめられているはずなのだが、正直にいって薄く感じられた。手練手管が足りなかったのか*2、用意された脚本から内容を変更することが難しかったのか*3、計算で演出してきた細田監督が急に自身の情念をこめても映像に反映できなかったのか、それは見当もつかない。
ともかく『オマツリ男爵と秘密の島』は興行的に失敗したし、細田監督は東映を去ることになった。山内監督が『デジモンハリケーン上陸』以降も東映で仕事をしていることと対照的に。
……以上の流れを見る限り、細田監督は『少女革命ウテナ』での作風を意識的に封印した、もっといえば封印せざるをえないと見ていいのではないだろうか。
幾原・ウテナが映画的〜細田守的アニメ史観・あるいは細田守の後付設定 - まっつねのアニメとか作画とか
mattune氏が色々と残念がっているが、暗い情念をこめた映画『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』が失敗し、新たな環境で制作しつつ演出で冒険しなかった映画『時をかける少女』で成功をつかんだ現状では、しばらく橋本カツヨらしさは戻ってこないのではないかと思う。デザイン的なOP演出で名義を見る機会はあるかもしれないが。


ところで、五十嵐卓哉監督の映画『金色のガッシュベル! メカバルカンの逆襲』も、上記2作品と似ているところがある。興行的に失敗し、合わせるように五十嵐監督が東映を去ったことまで同じだ*4
五十嵐監督も『少女革命ウテナ』に参加していたという観点から論じることもできるだろうが、もっと東映アニメ監督における普遍的な何かがあるのかもしれない。辞める前にやりたい放題、というのとは別の何かが。

*1:この辺は出崎統作品に通じている。おそらく、ファンが認識しているキャラクター性を再現することを最優先せず、人間が時に不合理な行動をとることを描きたいのだと思う。

*2:上映時間は『デジモンハリケーン上陸』より『オマツリ男爵と秘密の島』がずっと長い。単純に考えれば、相対的に多くの要素を入れるべきとなる。そもそも演出家としての経験差も極めて大きい。

*3:脚本が先に用意されていたこと、その後半を大幅に変更したことは、かなり初期から判明していた。

*4:ただ、東映で全く仕事をしていないわけではない。