法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本アニメ美術論壇の誕生

はじめに

大きく出たエントリタイトルだが、あくまでアニメ視聴者側が知ることのできる一般常識にとどまる内容にすぎないことを断っておく。私は素人としてもアニメの背景美術にくわしくないので、もっと広く深い知見を持つ人からの批判や反論も待ちたい。
主な話題は、アニメでなぜ人物画と背景画がなぜ乖離して見えるのかという、下記の意見について。
彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog

写真から起したような写実的な水彩画風に描かれた街や自然の中に、ベタ塗りアニメ絵のヒロインという図は、ジブリに限らずよく見る。背景と人物の描写のレベルがわりと一致しているので今思いつくのは大友克洋今敏だが、全体からすると少ないのではないだろうか。
だがそもそも、今のように「美術」にあらん限りの工夫と技術が傾注されていなければ、人物の顔に細部が存在しないなどということも、いちいち気にしなかったはずだ。背景があたかも一幅の絵画の如く描かれるようになって初めて、そこから取り残されている顔が気になってきたのだ。

作業工程の関係で、人物の線は増やせず背景の線は増える

とりあえず基本的なところから説明しよう。
WEBアニメスタイル_特別企画

 レイアウトには背景の絵とそこで芝居をするキャラクターが描かれている。

 このレイアウトは美術スタッフにわたされ、背景用の原図(背景原図)として使われ、背景が描かれる。またレイアウトのコピーが原画スタッフに渡され、このレイアウトをもとに原画が描かれる。
 こうして完成した背景と、動画・仕上を経たキャラクターが組み合わされ、撮影されてアニメの画面ができあがる。

アニメの作画工程は、1カットごとにレイアウトという人物と背景を同時に画面に収めた下書きを描くことから始まる。演出意図として必要な指示はここでほとんど入れられる。逆にいうと、末端の自由裁量に任せてもいいような部分や、設定資料を真似すれば充分そうな部分は、省略する。天井や青空などはパースのガイドとなる直線が引かれるだけで、描きこまれないことも多い。
その後、映像上で動きそうなセル画の部分と、動かない背景の部分に別けて、作業が進められていく。ここで注意しておくと、必ずしも動く部分だけをセル画にするわけではない。たとえば静止した人物が口だけ動かしてしゃべる場面では、口だけを動かすことが多いが、動かない人体も口と質感を合わせるためセル画で作業される。駐車した自動車なども、他の場面で動かすことを想定して、質感をそろえるためセル画で作画されることが多い。


セル画部分は原画スタッフが動きの設計図として原画を描く。具体的にはレイアウトを基準として、動きを分割した場合に要点となる数枚の絵を描く。原画スタッフはレイアウト担当と兼任することが多い。それを動画スタッフという役職が線を清書して彩色しやすくし、さらに中割りという動きを滑らかに見せるための絵を補う。そうして中割りをふくむ動画スタッフの描線が、最終的に映像で出てくる。セル画部分は、そもそもディテールが設計段階である原画から増えないことが通例なのだ。彩色作業のために色を塗り替える境界を明確にしなくてはならず、かすれた線が持つニュアンスが殺されることも少なくなかった。
一方で背景美術は、レイアウトをガイドとして、ポスターカラーを筆で塗り重ねていく。もともとはラフなレイアウトであっても、情報量を増やす作業が基本なので、最終的にはセル画部分より細密になりやすい。もしレイアウトで描き込まれている場合は、美術が筆で濃淡を足すことで通常以上に細密となり、やはり限られた色数で均一な彩色しかできないセル画より緻密な印象を与えられる。そして場面ごとに担当する美術は一人だけなので、セル画と違い次の工程にわたってニュアンスが減らされることもない。

そもそもセル画がなぜ用いられるか

説明が前後するが、俗に「アニメ絵」と呼ばれる均質な彩色がなぜ生まれたのか、セル画の説明を通して語ってみる。
アニメで動きをつけるためには、多くの静止画を連続してきりかえるわけだが、その画が一枚ごとに質感が異なると無用なちらつきが生まれてしまう。多人数が分担して彩色せざるをえない商業アニメならばなおさらだ。そこで透明なセルロイド板に描かれた絵の閉じられた枠に指定された色を塗り、それを裏返すことで均質な色で安定して塗り別けることができた。そして動かない背景部分と組み合わせて撮影するわけだ。


具体的な彩色工程は下記ページが写真で細かく説明されていてわかりやすい。個人的に制作したセル画イラストの制作工程らしいが、過去の商業アニメもほぼ同様の手法が取られていたようだ。
セル作画工程
近年ではデジタル技術が普及して、『サザエさん』のような例外を除いてコンピュータ上で彩色を行っている。しかし現在の制作者側も通例としてセルという呼称を用いているため、今回のエントリでは特に区別せず表記する。

背景がセル画で描かれる場合もある

作風として1994年の『ファイナルファンタジー』みたいにセル画調のくっきりした背景を見せる作品もあれば、独特な雰囲気を表現するためにアメコミのような背景を用いる演出もある。しかし、それとは別に、制作工程の必然性からセル画で描かなくてはならない場合があった。
それは、あたかもカメラが奥や手前へ*1移動しているかのような映像を作るため、人物や小物ではなく背景を動かす手法。いわゆる「背景動画」のことだ。背景を動かすため画面全体が少しずつ異なる絵が何枚も必要だから、ポスターカラーで1枚ずつていねいに質感ある細密な背景を描くことは難しい*2。それゆえに、線が少ないセル画調の背景を見ることとなる。


インターネットで見られる具体例として『超時空要塞マクロス』OPを紹介しよう。開始28秒ごろから37秒まで滑走路を移動する主役メカが、51秒から都市部で戦闘する主役メカの雄姿が楽しめる。
超時空要塞マクロス | バンダイチャンネル|初回おためし無料のアニメ配信サービス
むろん、背景動画を用いない場面では一般的な背景画を見せるので、場面ごとに背景の質感が異なってしまう問題がある。この問題の解決法については次のジブリアニメ話で説明する。

ジブリは人物と背景が乖離するかわりに全ての背景を統一した

ジブリアニメで育った世代はそれが基準となるため、乖離を当たり前として受け止めているだろう。しかし、ジブリアニメが背景ばかり細密化していったことは、必ずしも同時代では肯定されていなかった。
具体的には『もののけ姫』あたりから*3、背景と人物との乖離がアニメファンの間からも批判されていた。それ以前、たとえば『風の谷のナウシカ』は劇場に耐えられる精緻さを持ちつつ、場面ごとに手法を変えて*4、情報量を上げる以外の方法も用いて演出にこたえていた。


ただし同時に『もののけ姫』は3DCGを活用しており、通常の背景美術と同じ情報量で背景を動かすことを可能にした過渡期の作品でもあった。終盤の暗い山中等では背景をセル画で描いて動かす古典的な手法も用いられたりと、演出の要請にしたがって手法を混在させつつ、効果的に用いられていた。
さらに「もののけ姫」を読み解く

直前のシーン(三騎の馬が併走するカットやアシタカが煙を発見するカット)などでCGによる背景動画をやり始めていたので、このカットをどうするかモメました。セルによる背景動画は浮いてしまうのではないかと。結局、この迫って来る感じはCGでは出せないだろうということでセルで行くことに決まりました。

もちろんメジャー作品に限っても初というわけではない。ジブリアニメでも1995年の『On Your Mark』という宮崎駿短編で用いられているし、さらに先行するメジャー作品として1994年の『マクロス7』OP冒頭がある*5
しかし『もののけ姫』は大ヒット作品として効果のほどを広く知らしめ、技術を普及させたと見ていい。キャラクターと背景画が乖離する問題を残しつつも、逆に背景を動かしても精緻さを失わず全体の統一をはかることができるようになった。背景画ではない部分でも、サンの口についた狼の血がデジタル技術ではりつけられ、動いても違和感を損なわなかった。つまり一方の統一感が減じた分だけ、別の統一感を獲得した。だから日本アニメの流れにおいてジブリアニメは許されたのだと思う。


あと、近年のジブリアニメでも映像にアニメ的な抽象性を取り戻そうという試みが行われていることも注意しておく。『ホーホケキョ となりの山田くん』のような実験的作品から『ポータブル空港*6『やどさがし』*7のような小品を手がけた末に、『崖の上のポニョ』で興行的な成功を果たした。

ポータブル空港』より

現代の背景美術は写真を引き写すようになった

アルプスの少女ハイジ』等のように、現実の風景をロケハンして参考にする作品は昔からあった。初期の東映動画では初長編映画となる1958年の映画『白蛇伝』以降、俳優に衣装を着せてスタジオセット内で撮影し、「ライブアクション」と称して参考にしていた*8。しかし場面ごとに演出が要請する構図を優先するため、写真を直接的に参照する例は少なかった。


まず、現実の風景を引き写した作品は、1983年の映画『幻魔大戦』の新宿描写以降に増えていったという流れがある。
404 Not Found | アニメイトタイムズ

司会の井上氏から「『幻魔大戦』は背景の圧倒的な情報量で見せていくスタイル。後のアニメにも影響を与えている」と話すと、作品を象徴するカットとして“西新宿の高層ビルの夜景”を挙げる。りん監督は「僕と大友くんが住んでいる吉祥寺から新宿の当時の高層ビルまでロケハンをして、そういうところをきちんと見せることによってドラマのリアリティを出したかった。でもリアルに描きすぎても面白くない。西新宿の夜景は『高層ビルが墓標に見える』という僕のイメージから作っていった」とコメント。

アニメキャラクターが見なれた風景で暴れまわる異化効果が求められ、特に怪獣映画の影響が色濃い巨大ロボットアニメで一般化していった。一例として1988年の『冥王計画ゼオライマー』に対する、氷川竜介氏の解説を紹介する。
http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/books/otakusemi/No3.html

この作品は、照明効果を考えた作画をしているのが特徴です。実景に近いようなライティングの作品なんですね。実際に、伊豆半島をロケハンして、夜の海から見た町を再現していたりと、背景の建物なんかもひじょうにリアル。ロボットが出てくるシーンも、実写カメラが撮った映像のようなアングルで、ひじょうに実在感のある効果を生み出しています。最近ではテレビアニメの映像も、このクオリティの水準に近づいてますね。

ロボットはキャラクターに比べて線が多いし、近景と遠景の間に存在することもできる。さらにはロボットが風景に見える建造物へ触ったり破壊することで、必要以上にセル画と背景画が乖離しない。
インターネットで視聴できる具体例として、1997年に制作された『勇者王ガオガイガー』の初回を紹介しておこう。15分50秒あたりから、敵ロボットが暴れまわり、味方ロボットが対抗する様子が、かなりリアルな新宿の風景において展開される。現実の風景にロボットを紛れ込ませるだけに終わらず、周囲の建造物を意識して立体的な殺陣を描いているところが今見ても素晴らしい。
勇者王ガオガイガー | バンダイチャンネル|初回おためし無料のアニメ配信サービス


アクションアニメではないのに現実の風景を引き写した作品としては、木崎湖という具体的な地域をロケハンした2002年の『おねがいティーチャー』が近年の源流に当たるだろう*9。いわゆる「聖地巡礼」と呼ばれる舞台探訪を流行させた。制作者側の変化だけでなく、インターネットを介して情報共有と探索がリアルタイムで行えるようになった視聴者側の変化も関係していると思われる。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/irisissnow/one/
この「聖地巡礼」が2005年の『AIR』以降から続く京都アニメーション作品群で定着したことも、おそらく事実だろう。もともと京都アニメーションは下請け会社として生まれ、背景美術を自社でまかなう能力があり、ていねいな仕事を行おうとする会社の姿勢もあって、安定して細密な背景を提示した。かつ、身近な風景を舞台とした作品が多く、規模の小さい会社が背景作業を安定化させるためには、写真参考が効果的であったのだろう。

逆にセル画が背景美術に接近する試みについて

主としてデジタル技術が発展した近年の状況について、下記のようなエントリをあげたこともある。セル画に質感を付与したり、背景美術の貢献度を増して映像の情報量を上げる試みについて紹介した。
セル画で実感を表現できないなら、美術画として表現すればいいじゃない - 法華狼の日記

描線の味わいを残す手法は、けっこう普遍的に見られるようになった。『ホーホケキョ となりの山田くん』、『アニマトリックス』の大平晋也、リニューアル後の映画『ドラえもん』等で用いられており、熱心なアニメファンでなくても見る機会は多い。
作業が簡略化されたことで、動画や撮影まで個人で行う吉成鋼や山下省悟といったアニメーターも登場してきている。まだ通常の手法で制作された前後のカットと違和感は出てしまうが、あえて演出として取り入れた『WHITE ALBAM』等では良い表現となっている。

デジタルならば思い通りの色を使うことができる。
たとえば細田守監督は、映画『ONE PIECE オマツリ男爵と秘密の島』について、キャラクターの線を減らした代わりに色の数を増やして画面の情報量を増したと語っていた。
さらに、一様な色をのっぺりと塗らず、テクスチャを張っていくことで、セル画を絵画的に見せる手法も発展してきている。TVアニメで『岩窟王』が美意識に満ちた映像を貫いて以降、『モノノ怪』『墓場鬼太郎』『源氏物語千年紀 Genji』等で一定の成功を上げてきている。

あくまで各作品を知っている人に向けた内容であって、不親切この上ない内容だとは思う。だがそれでも、背景画とセル画の乖離を防いだり、逆に演出としてとりこむため様々な試みがされていることは知ってほしい。


上記エントリで書いていない範囲でいうと、細田守監督の作品では、映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』において、精緻な背景美術を単色の濃淡で描き、具象度をセル画に合わせて落とすという手法をとっていた。田村せいき美術監督の意図という。
今敏監督は雑然とした室内を表現するため、あえて小物をセル画で描いたことがある。作業工程の説明で言及した話の応用例だ。背景の上に今にも動きそうな予感をはらんだセル画が存在することで、重層的な印象が与えられるということだろう。監督自身が自身の公式サイトで演出意図を語ったページがある。
http://konstone.s-kon.net/modules/pb/index.php/content0024.html

私の場合キャラクターが「その場所にいる」という臨場感を大切にしたいので、比較的セルを多めにする方、というよりしたい方だ。たとえカット内で動かない物でもセル扱いにしておいたほうが、「動きそうな感じ」「手に取れそうな感じ」がして画面に生活感や活気のような物が感じられる。私だけ?

ぜひ引用部分だけでなく全体のページも読んでほしい。制作者自身の言葉で、アニメ制作における背景美術の立場や、演出家の乖離に対する見解も具体的にうかがえる。

背景美術の細密化と進歩は少し異なる

2011年に解散した小林プロダクションという背景美術会社がある。筆使いを画面に反映させた独特のタッチと、多くの意欲的な試みを行っていた。
近年では2004年に担当した『忘却の旋律』で、人間が管理された社会を赤色が差した不安感ある風景で表現した。
忘却の旋律 | バンダイチャンネル|初回おためし無料のアニメ配信サービス

制作者からは高く評価されている。一例として、荒川眞嗣監督と小林治監督が近年のジブリ美術と比較したTogetterを紹介しよう。
小林七郎さんの話 - Togetter

@osamukoba 「三千里」や「元気」の背景を基準にしちゃうと、さいきんのジブリの背景とかアイジーの背景とか、なんだかなあ〜と思ってしまいます。
返信する RTする ふぁぼる
Shinjukueyes 2010/10/23 23:42:42


@Shinjukueyes 乱暴な言い方をすると。なんか魂入れてない、みたいな感じがする。上手いのと違うんだよね。そのシーンを書いて無いみたいな。そのシーンの意味と言うかなんというか。あと美学がないかな。デジタル化で面の表現がつまらなくなっちゃった気はしますね。
osamukoba 2010/10/23 23:46:45


@osamukoba 七郎さんや、井岡さんや、椋尾さんや、土田さんは「絵描き」だった。今の美術さんは「背景職人」。丁寧でリアルな絵を描いて納品するだけ。みんなで同じことを繰り返してるから、なんの進化も発展性もない。いい作品をたくさん見れたぼくらの世代は、なんてラッキーなのか。
Shinjukueyes 2010/10/23 23:53:34

小林七郎代表はレイアウトにも手を入れることが多く、押井守監督の演出に深く影響を与えた。
WEBアニメスタイル_特別企画

 「美術の(小林)七郎さんは、大変な人だったね。アニメーターの描いたレイアウトを見て、ここが違う、あれが違うとか言って、全部消しちゃうわけ。その場で直しているのを、僕はずっとそばで見ているわけ。どこが違うのか。『ここを延長すると、こういう風に矛盾が出る。頭が二階の上に来ちゃうだろう』とか。
 僕は、レイアウトの基本的な見かたっていうのを、七郎さんに習った。図らずも、レイアウトって面白いもんだっていうことが、その時に初めて分かったわけ。漠然と、もしかしたらレイアウトっていうのは、アニメーションにとって一番大切なものかもしれないな、っていう予感みたいなものがして。その時の記憶をそのまま『パトレイバー』に持ち込んだから」

しかし、近年の若いアニメファンからの評価は、必ずしも高くはなかった。むろん美しさを評価する意見も多いが、筆タッチの主張する背景画は時に汚いと評され、細密に描かれた他作品に比べて低く見られていたこともある。先に紹介したように、制作者側から見てさえ、残念ながら近年は主流から外れていたと語られている。

おわりに

写真を引き写したような筆致が賞賛され一般化した現在が、本当に背景美術が進歩したといえるのかどうか。小林プロダクションのように、背景ならではの表現にこだわり、演出の要請にこたえた美術こそが進歩であって、緻密な背景はそのひとつにすぎないのではないか。
近年のアニメで人物と背景の乖離が目立つとすれば、それは背景技術ばかりが突出したためではなく、むしろ表現として後退したためではないだろうか。

*1:左右に流れる風景を見せるには、大きな背景画をスライドさせる手法で間に合うことが多い。もちろんパースの関係で遠景と近景の移動速度は異なるので、手前だけ背景動画を用いたり、遠景と近景を別階層に別けて異なる速度で移動させることはある。

*2:映画『ユンカース・カム・ヒア』のように、普通の背景美術に近い手法で根気良く1枚ずつ描く例外もある。彩色も少数精鋭で手がけるような自主制作アニメでも、まれによくある。

*3:同時期に実写やラフ画やサインペン彩色を映像で見せた『新世紀エヴァンゲリオン』が話題となっていたこともあるかもしれない。

*4:たとえば菌に覆われた腐海では、彩色した背景を水で濡らしてぼかすことで表現されていた。

*5:宮崎監督が影響されたという逸話もあるのだが、探してみると信頼できる情報源が見当たらなかった。しかしエントリを上げた後にコメント欄でmatika氏から、ジブリと『マクロス7』の両方で仕事をした片塰満則デジタル作画監督の証言を教えていただいた。http://crocro.com/news/20041127050602.html

*6:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_eventnews_20040525a.htm

*7:http://www.ghibli-museum.jp/welcome/cinema/004491.html

*8:ただし、実写を1コマずつ参照した欧米におけるライブアクションと異なり、実際には宣伝材料としてスチール写真を撮影しただけで、アニメ制作の現場では用いられなかったらしい。

*9:新世紀エヴァンゲリオン』等、過去に制作された様々な作品も聖地巡礼の対象になっていることも注意しておく。http://seichi-junrei.com/