法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『リコシェ 炎の銃弾』

一人の警察官ニックと一人の犯罪者ブレイクが戦い、その結果として一方は出世し栄光をつかみ、一方は刑務所へ送られる。
しかしブレイクは謀略をめぐらして脱走し、ニックを栄光の座から転落させようと罠を張る。ありもしない場所で、脱走後に死んだはずのブレイクから麻薬を打たれ、女性と無理やりに関係を持たされた……そう主張をするごとにニックは信用を失っていく。


日本オリジナルのサブタイトルが恥ずかしすぎる、デンゼル=ワシントン主演のアクション映画。ラッセル=マルケイ監督。
脚本は古典的で大味な部分もあるが、細部に伏線がつまっていて、無駄な登場人物もなく、小刻みなどんでん返しが楽しい。中盤でテレビ募金を行ったニックへ大金が送られ、成功に喜ぶ姿を転落の予兆として描くあたりは、良い意味でハリウッド映画の教科書通り。
映像も、激しい爆発、様々な舞台で展開されるアクション、路傍の美しい友情、等々の派手な場面が多くて楽しめる。
そうしてB級映画に求められる楽しみを存分につめ込みつつ、テレビというメディアが英雄を持ち上げ転落させる様子や、正反対の道を進んだようでいて底に通じるものを持ってしまった二人の主人公といった、文芸的に頭一つ抜けた要素もある。


個人的に印象的だったのは、罠にはまって陰謀の存在を主張するニックが、周囲から冷たい目で見られて、信用してくれた者も殺されて逆に罪を着せられていく展開。
特に面白いのが、作中テレビ番組で唯一ニックを擁護した男の主張だ。男は、黒人が政治の舞台に躍進すること*1を防ぐロックフェラーやシオニストの陰謀だと叫ぶ。さらに男は自動販売機にエイズウィルスが塗布されているといった主張までして、司会者にさえぎられてCMに移る。
この番組を見ていたニックは、勇気づけられなどしない。陰謀の渦中にある自身の立場が、客観的に見てトンデモでしかないことを自覚し、絶望するのだ。
陰謀論の代表的なパターンがフィクションで描かれた記録であると同時に、物語で陰謀論を描く危険のエクスキューズにもなっている。
そして陰謀にすがりつきたくなる動機と、陰謀にすがりついた姿の客観的な絶望ぶりは、今の日本でも現実として通用する普遍的な問題意識だ。


あと、悪に対抗しようとしたニックが、ブレイクより少しマシで知己がある別の悪に頼った終盤は、デンゼル=ワシントンが印象的な悪徳黒人警官を演じた映画『トレーニングデイ』*2を思い出した。
もちろん『リコシェ 炎の銃弾』自体にも、善と悪の類似は描かれている。復讐のため生きてきたブレイクが、ニックの露悪的な態度を拒絶して恐慌をきたすクライマックスが代表だ。しかし最終的には単純な構図で決着し、物語が閉じられる。
同じ主題を、より踏み込んで描いた作品として、見比べてみても面白いかもしれない。

*1:ちなみに映画の冒頭で、ニックは冗談めかしつつ初の黒人大統領を目指すと宣言して、黒人女性を口説いている。その黒人女性は後の妻となる。

*2:感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090108/1231428563