法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『とある科学の超電磁砲』で、さほど凶悪犯罪が多いとは思えないのだが

ジャッジメントという組織に所属しているとはいえ、たかだか一般人に近い少女達がボランティアで凶悪犯罪に対処するのは奇妙という意見を、時たま目にする。


原作マンガや小説は未読なので、そちらに明確な描写や設定があるのかもしれない。しかし、少なくともアニメを見ている限りでは、そもそも不自然なほど凶悪犯罪が頻発しているとは思わない。
我々の住む現実社会では、銀行強盗や車上荒らし自動販売機を蹴って故障させる少女に遭遇する率は確かに低い。それらが滅多に起きない凶悪犯罪という意見にもうなずける。しかし『とある科学の超電磁砲』の学園都市は、我々の住む現実社会ではない。
もちろん、学園都市が悪徳と無法が栄える退廃都市というわけでもない。表裏の関係にある『とある魔術の禁書目録』では国際的歴史的な戦いが決着づけられる重要な地域という気もするが、とりあえず無視して考えよう。注意したいのは、我々の住む現実世界と違って作中人物は様々な超能力を持ち、はるかに科学技術も発展しているということだ。


技術が発展すれば、犯罪が高度化すると同時に防犯も高度化する。そうした技術の普及を無視してはならない。自転車に乗るための免許が必要だった時代には、現在では当たり前となっている子供が自転車を乗る姿は、極めて危険なものに映ったことだろう。自転車泥棒も自動車泥棒ほどの衝撃があったかもしれない。
しかも作中の自動車は、生身の人間が持つテレポーテーション能力よりずっと遅いし、最高能力者とはいえ一人の少女が特別な道具もなく破壊できる。相対的な価値は現実の自転車どころか、ブランド物の運動靴くらいの価値にまで落ちていると考えることもできるわけだ。
銀行強盗にしても、一人はほとんど素手の状態で乗り込んできている。現実におきかえると、いわゆる万引きか、不良のカツアゲ程度と考えてもいいかもしれない。
もちろん犯罪であることには違いないし、暴力的であることも確かだ。だが、たかだかボランティア的な少女達ががんばれば、対処できてしまう程度なのだ。


少し考え方を変えてみよう。
超常現象が当たり前の世界だから見た目が派手になっているだけで、今のところ作中で起きている出来事は、おせっかいな風紀委員達が不良をこらしめていることと変わりない。
少女達でも対処できるという作中描写を、素直に受け取ればいいのだ*1


なお、凶悪でなくても犯罪扱いされていることを学生に対処させるべきかという異論があるかもしれない。だが、作中にはアンチスキルとジャッジメントという2種類の組織があって、第5話の台詞などから鑑みると、暴力を用いた犯罪はアンチスキルが対処するものらしい。第6話で描かれたような姿こそ、本来のジャッジメントのようだ。
つまり犯罪対処は、作中においても比較的に特異な行動と描写されている。

*1:ただ作中でも学園都市以外では比較的に現実と技術レベルが近い。これも逆に考えれば、作中の出来事が現実と同じような感覚で語られている理由として、学園都市外の感覚が流入しているからという説明が使えることになる。