法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

息を吐くような差別を見た

JSF氏のエントリで最も問題と感じる部分と重なってくるだけに、予想していた反応ではある。
たしかに9条以前の問題 - 法華狼の日記

zamudo 2009/08/07 10:04

「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中に普通に居るものと思った方が良い」という表現が特定の個人を指しているとも考えがたい。

 それは、容疑者のような事件を引き起こすかもしれない個々に対しての言葉であって、「容疑者と同じような犯行を起こせば、また批判されますよ」という暗喩にすぎません。

しかし、ここまで理解が不足しているのでは、説明に手間がかかるかもしれない。


すでにコメントでも返答したが、念を押しておこう。
たとえば、アニメオタクによる脅迫事件を一つ引いて「脅迫事件を起こすアニメオタクという人種は、そこいら中に普通に居るものと思った方がいい」と書いて、何の問題もないはずがない。
属性が共通するだけの個々に対して「また批判されますよ」と主張することは、差別主義の発露でしかない。たとえ属性が共通していても、以前に他人がされた批判とは違う批判になるはずだ。無批判に属性を適用するため「また」という表現が出てくるのだ。
なお、事件と属性の因果どころか相関すら示されていないことは、指摘するまでもないだろう。


ただし、属性を使って集団や個人に評価を下すこと自体は、人間として当然だと思わないでもない。属性で他人を理解しようとする方法論は、誰もが使っている。だから、zamudo氏と同じような差別を行う危険性は誰にでもある。
ゆえに、差別主義者でない者は、他人を属性だけで理解することの限界もまた知らなければならない。たとえ属性と事件に確実な因果があっても、そのまま属性をもって批判することは躊躇するべきなのだ。
物事を理解するには、単純に整理する作業と複雑に把握する作業という、少なくとも両面が必要ではないだろうか。息を吐く前、まず吸わなければならないように。