法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

エンドラスサザエ

涼宮ハルヒの憂鬱』が、新規話でエンドレスエイトというループ構造の物語を愚直に重ね、ちまたを一時期にぎわせたという話。それに関連して、少し思いついたことを書いてみる。
何度も言うけど、エンドレスエイトは - まっつねのアニメとか作画とか
いや、話題になった後で少し見ただけなので、エンドレスエイト自体が良いとも悪いともいえないが、同じ話を別の演出で見せるという企画自体は確かに面白くできうる試みだと思った。名前が上がってない中では、森脇真琴演出か、安藤敏彦演出で見たい。いや、京都アニメーションと縁があるし。
一回におさめる思考実験もされている*1。個人的には、どうせなら最初の『シスタープリンセス』初回みたいに全く同じような展開を延々と詰め込んで、異様さを際立たせても面白いと思う。
演出家によっては、試しがいのある企画だろう。


しかし、アニメファン向けでないアニメ全体にまで視野を広げれば、そう珍しくない例ともいえる。有名原作になると何度もアニメ化やリメイクされ、それなりに人員や予算がつぎこまれることもあって、時を経て同じ物語を違う演出で楽しめることが多い。
たとえば『まんが世界昔ばなし』と『雪の女王』では、十年以上の時を超えて、同じ物語から同じ出崎統演出で違うアニメへ再構成したりしている。出崎統監督を好きなmattune氏が言及していないことが不思議なくらいだ。


そうした異なる演出家が同じ話を手がける例は、長期化したファミリーアニメで特に多い。原作ストックが多く、アニメオリジナルストーリーが少ないまま長期化した『サザエさん』や『ドラえもん』が代表だろう。
ことに『ドラえもん』は原作の時点で同じネタに違うアレンジをほどこした話が多く*2、ループ感覚が半端ない。
しかも『ドラえもん』は手早く異なる演出を見比べることができる。まず、古くにアニメ化された印象的な作品が、アニメ企画で視聴者から選出されて映像ソフトにまとめられた。その選出された作品と同じ原作から、渡辺歩監督の手で中編映画化されたものが複数あり、これもまた映像ソフトで容易に見ることができる。さらにアニメ企画で選出されたことを受けてか、それらの原作から何作かが新しくアニメ化された。それぞれ時を経ているため、同じ制作会社の作品でも作画から色指定、背景のスタッフまで入れ代わり、全く違ったアニメとして楽しめる。原作と合わせれば、四通りの調理方法が味わえるわけだ*3


一方、『サザエさん』のループには全く違った趣向がある。作画や演出のトーンを統一し、家電製品を除いて時代も固定されているが、キャラクターの関係性は少しずつ変化している。同じように作中時間が停止したかのような『ドラえもん』が、キャラクターを固定しつつ時事ネタを積極的に取り入れ、作画や演出で冒険をくりかえすのとは好対照だ。
なぜ、そのような違いが生まれたのか。少し前に雑誌『アニメーションノート』Vol.04で、『サザエさん』の現場に密着取材をしており、凄まじい制作方法の一端が明かされていた。『サザエさん』では原作をシナリオ化するにあたって、完全に機械的な手法を取っているのだ。以下、ネタ探しを効率化させるための手法が説明されている文章を引用する*4

 そこでエイケンの演出課では原作をデータベース化して管理を行っている。まずは原作本をすべてばらし、その中から現在は使用できない時事ネタなどの原作を除外する。つづいて各キャラが主役になっているエピソードを抜き出して分類。さらに「師走」「夏」「花見」などの歳時記ネタを時期に合わせて整理する。そのファイルの中から文芸担当がテーマに沿った原作を選び出し、ライターに発注する。
 そして一度使った原作はネタ被り防止のため、使った年と回数を記録し、使用済みのファイルへと移される。これは三年の間隔をおいて再び元のファイルに戻されるシステムになっているのだ。まさに手作業による完璧なデータベースである。

正直いって、創造性とはかけはなれた作りと感じてしまう。たとえるなら、芸術ではなく伝統工芸といったところか。
もちろん創造性が全く介在できないわけではない。たとえばシナリオには原作ネタが最低一つは必要だが、逆にいえば複数の原作ネタを入れてもいいという。
サザエさん』に参加している脚本家、雪室俊一は『サザエさん』が長期放映できている理由を問われ、「ホームドラマ」だからと答えた。特に映像や物語の小道具が必要ないから、と。具体的に、以下のような回答をしている*5

日常の方がネタがあるんですよ。毎日同じ暮らしをしているわけじゃない。微妙に違う。まったく昨日と同じ生活はない。遅刻するし、二日酔いで休むとかね。

なるほど、ホームドラマの発想だ。
もちろん『サザエさん』は同じネタを連続させない工夫があるし、三年以上の間隔をおけるという原作ストック量の違いも大きいが、同じネタを変奏するだけでも不満は出ない。同じネタを工夫なく続けることだけでは、必ずしもアニメの質が客観的に低いことを示さないのだ*6
比べて『涼宮ハルヒの憂鬱』は、原作からして退屈な日常に飽いた青少年達の物語だ。視聴者もまた、ささいな変化しかないホームドラマを強く求めている者は少ないだろう。制作側の意図*7と視聴者の要求がずれていたと考えれば、エンドレスエイトに不評意見が多いのは自然かもしれない*8


しかし思い返せば、かつての京都アニメーションは、ホームドラマの合う社風だった。安定したグロス制作*9で信頼を得ていたのだし、それこそ『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』といったファミリーアニメにも最近まで参加している。流行のネタをまぶして毎回の目先を変える作風は、社風ではなく退社した山本寛監督らの持ち味だったのではないか*10
今になって思うと、ゆるい日常を延々と描き続けた『らき☆すた』で山本寛監督が途中降板して、その直後に退社したのも、符合するものを感じる。実際は単なる偶然にしても。

*1:http://d.hatena.ne.jp/mattune/20090728/1248794336http://d.hatena.ne.jp/ch3cook/20090729等。

*2:どくさいスイッチ」と「無人境ドリンク」等。同じネタを一人称サスペンスから三人称コメディへ変奏している。

*3:さすがに日テレ版『ドラえもん』は視聴困難なので外さざるをえないが。

*4:46頁。

*5:47頁。

*6:正直に個人的な思いをいえば、『サザエさん』は制作姿勢も完成作品も嫌いだし、批判したいところが多々あるが。

*7:むろん京都アニメーション内のスタッフのみでエンドレスエイトが企画されたと想定しているわけではない。このような形式の話題作り自体は、むしろホームドラマの対極にある。あるいは案外と企画時に話題作りの意図はなく、再放送のおまけとして話数調節の意味で入れただけで、制作側の想定以上に期待値が高かっただけなのかもしれない。

*8:不平意見がインターネット等で可視化しやすい視聴者層ということも大きいだろうが。

*9:一つの話を、ほぼ全工程にわたって下請け制作すること。『はいぱーぽりす』『犬夜叉』『魂狩』ごろの京都アニメーショングロス回は、不安定な本社回より質が良いことも多かった。

*10:どこかのインタビューか何かで、そういう文章を読んだ記憶があるが、思い出せない。