法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

表現への抗議と攻撃

韓国から起きた『ヘタリア』への抗議活動を、特異な国家の特異な行動とみなす人々がいる。まさに、歴史を流れで把握せず、独立した逸話をつまみぐいして世界観を作り上げた弊害を象徴しているといえる。
ここで日本国内で起きた事件を、南京事件を題材とした作品から並べてみる。表現の自由に対する攻撃とはいかなるものか、時間軸で考える一助になれば幸いだ。


すでに最初のエントリ*1で簡単に『国が燃える』事件へ言及したが、笠原十九司南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』から当該事件についての記述を引用しておく*2

 二〇〇四年九月、雑誌『週刊ヤングジャンプ』(集英社)の連載漫画、本宮ひろ志国が燃える」が同誌の第42号(九月三〇日発売)と第43号(一〇月七日発売)に南京事件の場面を描いた。これにたいして右翼活動家の西村修平らが「集英社不買運動を検討する会」「本宮ひろ志の歴史偽造を糾弾する会」を立ち上げ、集英社に直接赴いて抗議を繰り返した。集英社もこれに応じて、『ヤングジャンプ』編集長ら集英社の幹部が何度か直談判を受け、最後には漫画の削除・修正を約束した。さらに右派系の地方議員グループも集英社に「抗議面談」に赴き、右翼団体街宣車集英社の前で威圧行動を展開した。ほかにもメール、ファックス、電話などでさまざまな抗議と圧力が寄せられた。この結果、集英社側は連載の一時休載を決定し、同誌一一月一一日発売号において、編集部・本宮ひろ志の連名で「読者の皆様へ」という「お詫び」の文章を発表、単行本出版にさいしては虐殺描写の大幅な削除・修正をおこなうと具体的に発表した。

前エントリでも述べた通り、国会で取り上げたなどという段階では終わらず、政治家や右翼活動家が実際に出版社に乗りこんだのだ。そして作品の公開方法が制限されるどころか、連載を打ち切らせるまでに至った。
この後に笠原教授が自身の検証記事を紹介している通り、『国が燃える』で描かれていたのは資料を踏襲したもので、わざわざ修正や削除に応じる必要性のないものだった。たとえば、南京攻略を独断で行い戦後に裁かれた松井石根司令官が事件を反省する内面描写のため、資料に残された発言を引いてモノローグ調に見せる等、むしろフィクションの歴史マンガとしては異例なほど慎重な表現が用いられていた。百人斬り事件は名誉毀損裁判が終わる前だったためか距離を取って戦意高揚記事と片づけているし、使われた資料写真も特に問題があるようなものではない。歴史を題材としたフィクションとして、特に史実面から批判できる内容ではなかったのだ。


南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』では、映画『南京1937』事件についても簡単な解説がされている*3

 映画「南京1937」は、一九九五年に中国で製作された南京大虐殺をテーマとした劇映画で、監督は呉子牛。女優早乙女愛が主人公の中国人医師の日本人妻を好演した。日本人を糾弾するのではなく、中国人と日本人の人間としての「和解」へのメッセージをこめた映画で、中国では「日本人に甘すぎる」、告発性が弱いと批判があった。しかし、そのような映画でも、日本で一九九八年から劇場公開を始めたところ、六月に横浜で右翼が上映中のスクリーンを切り裂く事件が発生、街宣車が執拗に妨害活動をしたために、中途で上映を打ち切らざるをえなくなった。

このスクリーン切り裂き事件は一部で有名な話かと思う。
打ち切り後も、各地の市民団体で公共施設を利用した『南京1937』上映活動が行われたが、右翼団体の妨害活動が続き実際に千葉県柏市では上映できなかった。
笠原教授自身の体験談として、1999年10月に山形市で行われた「『南京1937』講演と映画のつどい」の講師に呼ばれた時、「南京事件の真相を考える山形県民の会」が中心となって市当局に会場不許可の圧力をかけたという。山形市当局がしっかりしていたので上映会は実施されたものの、笠原教授は機動隊に守られ、市職員が会場を警備する中で講演を行ったそうだ。


南京事件がらみでは、そろそろ忘れられかけている感もあるが、下記のようなネット抗議活動もあった。抗議対象はフィクションではなくドキュメンタリー映画『Nanking』だが、他国における表現を日本のネット発抗議運動が攻撃した、記憶しておきたい一件だ。
グッテンタグ作品についての報道への反響 - Apeman’s diary
アニメ『ヘタリア』はメディアミックス展開されたものであり、原作の存在を前提に議論できる。しかしこの抗議活動は、まだ情報が出ていないドキュメンタリー映画の原作を憶測し、その憶測を根拠に抗議活動が始まったという想像を絶する出来事だった。抗議の一因となった原作キャラクターが映像に登場するしない以前の問題だ。
発端は憶測で書かれた産経新聞記事だが、それは抗議運動を弁護できる材料ではなく、むしろ絶望的な国内の言論状況を示していたとすらいえる。仮にも全国紙の報道が筋違いな抗議活動を引き起こしたわけで、しかも現在にまでまともな訂正や反省は行われていない。もちろん問題は新聞社にだけあるのではなく、実際に読みこめば憶測でしかないと理解できるのに、気づくことのなかった抗議者の読解能力も問われている。


南京事件を描いた各作品への抗議活動において、注意しておきたいのは抗議者が題材とされているわけではないことだ。
行為に対する批判ではなく、属性を根拠とした評価を差別という。各作品は、日本人という属性そのものを否定対象としているわけではなく、あくまで過去の日本人が犯した行為を否定している。その点で、国家という大きなくくり全体を一人にまとめている『ヘタリア』とは異なる。


実際に題材とされた「韓国」から抗議活動が起きることを過剰反応と評するならば、自分が起こしたわけでもない「南京事件」の描写へ抗議活動を起こして世界観を開陳してしまう人々をどう評すればいいだろうか。
現在、南京事件歴史学的に見て存在が確定しているといっていい。思想的な立ち位置を問わず、日中戦争を研究している歴史学者に存在を否定する者はいない。日本政府も公式に存在は認めており、国会答弁で見解が確認されている上、外務省サイトでも質疑応答文が世界に向けて発信されている。旧日本軍人で構成される団体すら、資料収集と研究の結果、南京攻略において虐殺を行ったことを認め、中国人民へ深くわびる総括的考察を行った。現代の日本人ならば、むしろ南京事件の存在を認め、反省すべき愚行ととらえて当然とすらいえる状況だ*4
ここ今にいたって南京事件が存在しなかった、あるいは悪いことではなかったと主張するのは、脳内大東亜戦争で快珍撃を続けている無敵電脳蝗軍くらいだろう。そういう人々が自滅するのは勝手だが、現職の政治家まで加わっている上*5、「日本人」と称して被害妄想に突き動かされるまま行動されるのだから、迷惑このうえない*6


さて、『ヘタリア』における抗議活動へ言及してきた人は、以上の出来事を知っていただろうか。知っていたならば二重基準を用いなかっただろうか。とりあえず、自ら問い返してほしい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090117/1232170184

*2:240〜241頁。

*3:238〜239頁。笠原教授は早乙女愛が受けた被害についても記述しているが、伝聞調で確認が取れないため、紹介を避ける。

*4:ちなみに、事件の存在を無視して軍事的な観点から南京攻略を見ると、楽観的な勝利条件を想定して現地軍が独断で戦線を広げ、補給がままならない状況で別の大国も敵に回して本国を巻き込んで敗北したという、むしろ全く擁護しようがない状況が明らかになる。

*5:そういう政治家の存在を許しているという意味で、選挙権を持つ者の責任も問われてしかたない面はある。

*6:すくいきれない虐殺の責が宙に浮いているかのような現状に対し、現在を生きる人々がどのような態度をとるべきかと問う意見はあるし、実際に意義がある問いとは思うが。