法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ちくわ氏の思う比喩

http://www.tikuwa.com/index2.html*1

 メカAG氏がオレと同じ主張なのかどうかはご本人に確認をしたワケではないので不明だが、何某かの発言によって名誉毀損が認定された事実と、それによって表現の自由が制限されてるモノかどうかは全くの別問題だという認識が貴方に欠けているだけだ。

当の文脈を読むということ、表現の自由は何かということ - 法華狼の日記で解説しているのだが。
南京大虐殺否定論を批判することくらい、当然の行為だと認められないだろうか。もし歴史について詳しくないのなら、言及しなければいいだけのことだ。」と書いただけの文章に対し、メカAG氏が「言論の自由を否定」と評した順序をわかっているのだろうか。
ただ「批判する」だけ、「詳しくないのなら、言及しなければいい」といっただけで「自由を否定」と反応されたので、より社会的に重い裁判例が存在することを示したのだ。

 オレが書いた言葉も、貴方が引用した言葉も、正しくは、“表現は無制限に自由だ。でも同時に制限されなきゃいけない瞬間もある”だ。
 オレが自分自身で、“制限されなきゃいけない瞬間もある無制限”などと評しただろうか? それは、貴方自身が私の発言を曲解し、勝手に脳味噌の中で構築したただの妄想だ。

発言の引用ではなく、あくまで要約だからカギカッコでくくらなかった。
そして「でも同時に」と繋げているのだから、ちくわ氏の書いた前後の文章は同じ状況であると把握するのが自然だろう。だから一つの文章に繋げただけだ。
他は前後をいれかえただけで、そう大きく間違った要約とは思わないのだが。

“サーキットをスポーツカーで時速300キロ出して走るのは気持ちいいですけど、サーキット外では法廷速度は守らないといけませんよね”という言葉を、”サーキット外では法廷速度は守らないといけません時速300キロ”という言葉に勝手に置き換えて、元の文章とその意味を理解しようとして、出来る者が居るとするならば、そいつは紛れもなく超能力者か未来人か宇宙人か神かあるいはそれ以外のヒトではない何かだ。

ちくわ氏が書いた「“表現は無制限に自由だ。」という文章の、どの箇所が「サーキット」にあたるような状況限定の意味があるのだろうか。「“表現は無制限に自由だ。」も、「でも同時に制限されなきゃいけない瞬間もある”」も、同じ「表現」についての話だろう。「表現」が「サーキット」にあたるとは考えにくい。
ならってスポーツカーを用いた比喩をするなら、私が“スポーツカーはどこでも時速300キロ出して走っていいわけではない”と書いたのに対し、ちくわ氏が“スポーツカーは時速300キロ出して走ってもいいですけど、同時にサーキット外では法廷速度を守らないといけない”と書いたようなものだ。この場合、ちくわ氏の主張が私への批判になっていないことは明白だろう。
ちくわ氏が「制限されなきゃいけない瞬間もある」と書きながら、私の「けして無制限に許されているわけではない」という文章が否定できると考える理屈がわからない。

*1:2008年11月6日の記述。ちくわ氏の他発言も原則的に同サイトから引用。