法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

そうだよ、想像するんだよ

ちくわ氏が語っている「自分の言葉」について*1

おそらく、オレたち凡人には計り知れない強力な情報ソースを有して尚、自らこそが市井であると憚りない大先生には敵いません。

実際には、自らを「市井」と称していたのは、ちくわ氏だ。その発言からは、憚っているような意識は感じられない*2

 判決を重く受け止めつつも、控訴する気満々なのは結構だけど、正直これは負け続けで終わるだろうなあ。市井目線では、間違いなく橋下の勝ちなんだけど。

ちくわ氏の発言に対して、「形式的に手続きを踏んでいても、事実誤認だらけの訴えが通らないこと」を知るという仮定で市井目線の理解を推測したが、自らを市井と称したことはない*3。現実的には、大きな報道がされていない以上*4、市井の大方は、関心どころか橋下徹弁護士の地裁敗訴を意識にのぼらせてすらいないだろう。残念なことだと思う。
「市井」という表現には、もう一つの問題がある。なぜ、自らの言葉として主張しないのか。なぜ、“自分目線では橋下の勝ち”と書けないのか。ちくわ氏は真に「自分の言葉」を持ち合わせているのだろうか。
あやふやな噂を基にした思いつきを並べただけで、価値がある独自の意見になることなど滅多にない。まともな根拠を出せない者が、「市井」や「世間の風」にたよる。裏付ける情報がなくても使える魔法の言葉だから。張子の虎の威を借りた狐が、何を語れるというのだろう。


「義憤」という言葉も同様の問題をふくんでいる*5

 さておき。今回の件で懲戒請求を送った人というのは、ある種の正義感と想像力のある人なのね。
 つまり、被害者への同情と、加害者と、それを被害者感情を考慮しない弁護方針を打ち立てた弁護士たちに対して義憤を禁じえなかった人。


 何の咎もないのに、母子を無惨に殺された本村氏に同情し、そして自分の欲望のためだけに母子を殺した加害者に義憤を抱き、幾らそれが仕事とは云え、まして法律では決して報われる事のない被害者感情を救おうと、法制度そのものが変化している最中に、自分たちの目的ないし弁護対象である加害者の主張を優先して、被害者感情を逆撫でするような事実発表を記者会見で行った安田弁護団に対し、何の情実も交える事がなかったとするなら、それは確かに、懲戒請求を送った人たちの思いを理解は出来ないでしょうな。

理解してほしいのは、誰の「義憤」だろうか。「想像力のある人」は本当に広く様々な物事を想像したのだろうか。それこそ面識もない他人の業務を調べもせず妨害して、裁判にすら悪影響をもたらし、何の「正義感」だろう。
なぜ、相手も相応の「義憤」を持って行動していると考えないのか。少しでも手間をかけて相手方の主張を調べないのか。弁護士や懲戒請求批判者にも「感情」があり、あるいは「義憤」ももっている。なぜ弁護団が22〜21人も集まらなければいけなかったのか、弁護団が裁判で死刑の違憲性をどう扱ったのか、調べて考えてみたことがあるのだろうか。そして加害者*6の主張を優先しない弁護士ばかりになれば、それは素晴らしい冤罪社会の到来だ。
安田弁護士会見が叩かれた当時の2ちゃんねるですら、ミステリーを扱うスレッドでは「仕事やん」と指摘する書き込みが優勢になったことがある。事件自体の情報は不足していても、フィクションを通じてなりに弁護士の使命を、法廷を知っているからだろう*7むしろ、フィクション関係スレッドに係争中時事問題を掲示板へ書き込み「ネタ」にする態度からは、「義憤」を感じることは難しかった。


これから、ちくわ氏への返答に限定しない、懲戒請求支持者全般に対する話をしよう。
正直な感想をいえば、懲戒請求にリスクが伴うことをヤメ記者弁護士に指摘された反応から見て、「義憤」などという高尚な代物は見当たらなかった。安全な立場から気に入らない相手を攻撃したいという幼稚な心理があからさまになっただけ。手弁当に近い状態で結成され、堂々と集中審理で裁判を戦った弁護団の「義憤」とは比べるべくもない。
しかも『たかじんのここまで言って委員会』は、南京大虐殺被害者の名誉を毀損したような東中野修道氏を登場させ、発言を公共の電波に乗せたことがある。懲戒請求扇動に乗った者の全てが好意的視聴者だったわけではないだろうが、少なくとも番組によって扇動された人々が発端だ。被害者を傷つけるような番組の扇動に乗った人々が、本当に被害者のことを思って行動していたかどうか疑問を持たざるをえない。南京大虐殺は捏造などといった被害者を傷つける主張をしつつ、懲戒請求扇動を支持していた者を見た経験は、実際に一度や二度ではない。


弁護団から反訴されないのは、温情で見逃されているにすぎないといっていい。懲戒請求を行ったり扇動した一般人もまた、橋下弁護士の被害者という見方はできる。
そう、懲戒請求を出した者が矢面に立たされないのは、無知だからしかたないと思われているからだ。漠然とした「市井」「世間の風」「被害者遺族」どの言葉も、批判から守ってくれる盾になりはしない。人間の感情は一人一人が違っていて、しかも時がたつにつれ変化するものだと、わかっているはずじゃないか。
「感情」も「義憤」も自分のものだ。誰の指図でもない自分の意思。だから受け止めるんだよ、自分の言動に対して返ってくる当然のことを。
発言を公開した以上、「義憤」だから批判されないなどという考えは甘えなんだ。批判されたくなければ、よく調べて考えて文章を書けばいい。調べたり考えることが面倒で、しかも批判もされたくないというなら、発言を公開しなければいい。
「法華狼の日記」みたいにコメント欄を全面開放しろ、などとはもちろんいわない。好意的なコメントを引用するな、とも主張するつもりはない。好きなように異論を排除すれば、それこそ「信者」しか書き込めないようになるだろうが、自身のサイトをどう管理しようと自由だ。しかし、自分が管理しているわけでもないサイトや掲示板で批判されることまでは拒絶できないんだ。他人の名誉を毀損したり業務を妨害するようなことを書けば、どこかで誰かに批判される、それは当然のように覚悟しないとね。


懲戒請求を扇動し扇動された者は、被害者の気持ちを口にしながら、現実の当事者ではなかった。現実の懲戒請求者は、弁護団に被害をおよぼした加害者でしかなかった。当然の結果として被害者から反撃が示唆されると、被害妄想におちいって取り乱した。加害者の自覚もない自称被害者の、みじめな姿。
想像力があるのだろう、ならば懲戒請求がもたらす結果をまず想像するんだよ。弁護士が何のためにあるのか想像するんだよ。弁護士が何を思って弁護しているか想像するんだよ。
それができない限り、その心にあるものは想像力ではないのだから。

*1:http://www.tikuwa.com/index2.html成年向けイラストサイト注意。2008年10月6日の記述。

*2:http://www.tikuwa.com/index2.html成年向けイラストサイト注意。ちくわ氏の発言は他も基本的に同じサイトから引いたもの。2008年10月2日の記述。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20081003/1223009875

*4:偶然か、『たかじんのそこまで言って委員会』の放映もなかった。

*5:2008年10月7日。

*6:ただし刑が確定しない限りは被告にすぎない。慣用表現だが、裁判における狭い文脈の話であり、一応注釈しておく。

*7:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070530/1180478273