大阪府でイモ畑をつぶした行政代執行の手続き問題について、弁護士によるくわしい解説がされた。
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/55431836.html
日本の裁判所はいっぱんに行政と個人が対立する場合に、行政よりの判断をするとされています。しかしながら、個人が、行政によって権利が侵害されたと考えたときに、それを救済するための制度があるけどなかなか勝てないのと(※2)、そうした制度すらないのでは、雲泥の差があります。
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/55448255.html
この事件の本案は、収用裁決の取消しです。原告の主張が認められれば裁決は無効になりますから、原告の土地の所有権は認められます。明渡義務もなくなります。いま、まさにそれを裁判で争っているのです。
しかしながら、本案訴訟の提起には執行停止効がありませんから、このままでは収用裁決=所有権喪失=不法占拠というロジックのもと、明渡を強制されてしまいます。でも、明渡期限までに本案で勝訴をするのは無理です。
だから執行停止を申立てるのです。法律上正当な不服申立ての手段に訴えている最中ですので、サツマイモを植えつけて悪いことはありません。
おおざっぱにまとめると、まだ司法で争っている時に、行政が勝手な行動をとったという問題。
ネットでは行政代執行自体が手続き上の結論であるかのような珍説を見かけたが、はたして小学校で三権分立を学んだのだろうか。司法は行政のいいなりになることが多いとよくいわれるが*1、だからといって司法の追認を当てにして行政が好き勝手していいことにはならない。司法が行政のいいなりになること自体、現代国家として問題とすらいえる。
問題となっている道路が実際に必要とされているかどうか以前に、必要かどうかを判断する手続きの一つを堂々と無視してしまった。朝日新聞からの批判に対する態度*2から見ても、橋下徹府知事は一貫して自分、つまりは行政の長に対する監視を拒絶するつもりらしい。司法と報道、最も原則的な権力監視制度を無視する行為を追認しては、行政の健全化など夢のまた夢だ。
もちろん、手続き上の問題は当然として、「園児」「保護者」「イモ畑」等も重要な論点だ。
法律上では確かに、イモ畑は金銭で代替できる存在だ。潰した後でも賠償できると判断されやすい。そもそもイモ掘りを好まない園児もいるかもしれない*3。
しかし保育園の行事として、園児がイモ掘りに参加する行事は一期一会といっていい。そのサツマイモには、単純な栄養以上の価値があるかもしれないのだ。しかも子供が体感する時間は、大人のそれよりはるかに長い。
人はパンのみにて生きるにあらず。いや、イモも必要だ、ということではなくて。パンにまさる幼年期の大切な経験を、暴力的に奪ったのかもしれないと認識してほしい、ということ。
画像は、藤子・F・不二雄『21エモン』「死ンデモイモヲ作ルダゾ」より。
*1:事実か否かは横に置く。