法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ETV特集』戦場カメラマン小柳次一〜日中・太平洋戦争従軍5千キロの記録〜

従軍カメラマンが残した日中戦争から太平洋戦争までの写真を紹介し、合わせて従軍カメラマンが持っていた視座を探る内容。
個人的には、従軍カメラマン個人史より、戦場写真が日本においてどう扱われてきたかの歴史として興味深かった。


まず、米国写真誌『LIFE』で掲載された有名な赤子の写真*1に対する反応。当時から捏造説が唱えられていたのだが、いきどおる報道写真会社の中で、経営者は「これだ」と方向性を定めたこと*2
日本において、合成により戦闘車輌の台数を増やしてみせた写真や、すでに死亡している兵士がいる風景を休息しているかのよう説明した写真が、報道で用いられていたこと。
前後して、現地女性を強姦した兵士が惨殺されていたからと村一つ虐殺されたのに、同行していたカメラマンはそういう写真を撮影しておらず、当時の日記にも記されていないこと。


報道写真は、せいぜい事実の一断片を切り取ることで真実に肉薄するしかない。そえられた説明文を改変すれば、容易に意味が変化してしまう。
番組では、戦意高揚写真ばかり撮っていた従軍カメラマンが、戦災に虐げられた現地中国人へレンズを向けたことを一つの到達点と語る。確かに、良い写真だったとは思う。戦後の写真展示や、写真を遺族へ返還する活動も評価したい。
しかし、戦後における小柳氏の証言や*3、紹介されている写真を見る限り、カメラマン自身がどこまで意識的に撮影していたのか疑問も残った。

*1:現在では、レールに座らされているなどと東中野修道氏が見当違いな批判をしたことで知られている。鮮明な版で見ると、座っている場所は明らかに駅のホーム。http://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki1.htmhttp://www.nextftp.com/tarari/nanshi/nanshibakugeki2.htmで写真が報じられた経緯が検証されている。

*2:宣撫工作としての写真を目指したのか、読者に衝撃を与える写真を目指したのか……番組では前者の印象が強いが、不明瞭。

*3:番組に著者も登場したノンフィクションは流し読みしたことがあるが、現在から過去を見つめなおす力が欠けていると感じた。一兵士ではなくて従軍カメラマンという報道関係者なのだから、一歩引いた視点からの証言を読みたかった。