シアトル自治区の小さな農園をとおして、現代の黒人が農園を所有できない問題を知った。
シアトル自治区ではじめられた農業は、英植民地のインドでおこなわれた塩の行進を参照すればわかりやすい - 法華狼の日記
さらに、黒人が農園所有権をうばわれてきた歴史への抵抗であるともマーカス氏は語っている。
上記エントリを書いた時はインドの非暴力不服従運動「塩の行進」を連想し、なぞらえた。
しかし自国の事例として、耕作する権利をうったえた「三里塚闘争」も思い出していた。それは国策によって迷走させられた農民がようやく確保できた大地を、さらに国家が奪おうとすることへの抵抗だった。
三里塚闘争(さんりづかとうそう)とは - コトバンク
1966年(昭和41)7月4日の閣議で新国際空港を三里塚に建設することが決定するが、これに先だつ6月28日、地元農民は三里塚新国際空港反対同盟(委員長戸村一作(とむらいっさく))を結成、反対運動を開始した(7月10日三里塚・芝山連合空港反対同盟に発展)。
68年初頭から三派系全学連の支援が本格化し、多数の逮捕者、負傷者を出す警察機動隊との衝突が続いた。71年2~3月、9月の2次にわたる土地収用法による強制代執行には地下壕(ごう)を掘り、一坪買収運動を行うなどして抵抗、逮捕者は1200人を超えた。
さらに物語への興味関心から、藤子・F・不二雄によるSF漫画『21エモン』の一編「死ンデモイモヲ作ルダゾ」も連想していた。芋掘り用ロボット「ゴンスケ」がホテルに作った畑を死守するエピソードだ*1。
もとは廃業寸前のホテルで使われていない部屋で隠れて作った畑だったが、宿泊費をはらうかたちにして堂々と耕作をつづけることに。しかしホテルの従業員ロボットにもどしたい主人と対立し、宿泊費も底をついてしまう*2。
そして、はげしく抵抗するもゴンスケは負けてしまうが、主人たちはイモの美味しさを知って、畑をそのまま残してゴンスケにまかせることを決める……*3
このエピソードの初出が1968年。つまり三里塚闘争が激化した時期と符合する。
劇中で明確な言及はされていないが、同時代のニュースが作者の目に入らなかったとも考えづらい。意識して描いた可能性は高いのではないだろうか。