法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アニメネタにマジレス〜残念、それは記号のルルーシュだ〜

ちくわ氏の「厨返し」について*1

劇中でも散々云われている通り、“ゼロはあくまで記号であり象徴でしかない”という言葉からも、ゼロは一つの手段であり、決してルルーシュの目的が、ましてや『コードギアス』という作品が“ゼロという英雄を作るのが目的だったワケではない”のは、マトモな読解力があれば明々白々。

残念ながら、この時点で「返し」として無理がある。
“ある部分”が良かったという評は、その“ある部分”が登場人物や物語の目的という意味を必ずしもふくまない。「何より」という修飾も、あくまで様々な評価点の内、最も良く感じたという表現にすぎない。ちなみに、ある亡くなられた映画評論家は、誉めにくい映画を広報で誉めるため、映画で大した意味があるわけでもない小道具ばかり語ったという。……念のため、『コードギアス反逆のルルーシュ』がつまらなかったというわけではない。
ともかく、「「ゼロ」という虚像の英雄を作る物語として、一期から続く一貫性を示したこと。」という文章を批判したいのなら、それが背景描写であるということを主張しても意味がない。明示された描写によって否定しなければ、ネタであっても形式的に成り立たない。少なくとも、「虚像」という評に対して「記号」「象徴」という描写を持ってきても、補足にこそなれ否定にはならないと思うのだが……

 極端な話、ギアス能力は催眠術でもデスノートでもドラえもんの秘密道具でも何でもよく、ナイトメアフレームブリタニアが日本侵攻を目的とした富士山に大量に埋没しているというサクラダイトでさえ動けば、別にラインバレルでもデモンベインでも何の問題もない。

ギアスの代替となる秘密道具とは「Yロウ」*2のことか。確かに、オレンジ疑惑などに想起させる描写があった。しかし、そもそもドラえもんの秘密道具とは範囲が広すぎる。ドラえもんは操縦型ロボット「タイタニックロボ」*3すら持っている。量産が可能で反政府組織ですら運用でき、改良による性能差も演出できるという描写からすると、「デモンベイン」「ラインバレル」よりナイトメアに近いかもしれない。おそらく、ドラえもんの道具で全く代替できない設定を見つける方が難しいだろう。記号にすぎないことを示すため代替できる設定を考えるのはいいとして、思いついたのが秘密道具では説得力はない。
また、他人を駒のように扱って戦わせるという主人公の特徴的な性格を演出しようとすれば、ある程度まで双方の陣営が多量に用意できる兵器が要求される。ゲリラ戦からのしあがっていく構成をするためには、あまり大型な兵器も映像的な説得性を欠く。それらの演出的要求を、「デモンベイン」「ラインバレル」は説得的に描写できるだろうか。量産性に障害があったり、あまりに巨大であったりしては、さほど適切な代替設定になるとは思えない。物語の構成などどうでもいい*4と考えているなら、どのような設定にも代替できるだろうが……

 法華狼大先生の真似をして、引用文大目で主文の少ないお手軽引用批判をするつもりだったけど、やっぱ自分の言葉を使わないと、批判にはならないですな。

読了しているから該当記述に見当がついているとはいえ、二段組のハードカバーを読み返し、該当する記述が存在しないことを調べ、相手が存在しないと主張する描写を引用し、作者の別著書における発言や未収録の後書きを提示し、相手の「書評」を批判するためには相応の手間をかけた。ただ別の考え方ができるというだけで相手の考え方を否定したのではなく、具体的な誤りがあったから否定した。相手方も、根拠薄弱さについては以下のように認めた。
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神が実在する証拠を問い詰められた宗教家がついには「神がいようがいまいが重要ではない」といいだすくだり。俺は確かに「神は沈黙せず」に書かれていたと確信してこの部分を書いたのだが…はて、今読み返しても当該箇所が見あたらない。困ったね(苦笑)。

俺が今したようにたぶん上記のサイトの筆者も一通りこの作品を読み返して、当該箇所があるか探したことだろう。余計ない手間をかけさせてしまった。

しかし…あったはずなんだけどなぁ。こういうのがまさに「記憶違い」なのだろう。よく「絶対○○の話を聞いた」と確信しているのに、相手は話した覚えがない、とか。

だから、引用文が多かったり、文字数が少なければ批判として成り立たない、などというはずがない。たとえば相手が存在しないと主張した描写があることを示すには、該当する記述を引用するだけで充分だ。できれば章や頁など、検証しやすい情報を加えると良いくらいか。
それを「自分の解釈と違うってだけで、他人の書いた書評にまでケチをつける」と評するまではともかく、対して「自分の言葉」を長々と書いてすますとは、ネタにしても手を抜きすぎている。「ケチ」をつけたかったならばまず描写の見落としや人名や数字の誤記を探せば良かったのだ。過去に何度もコメント欄で誤謬の指摘を受けたことはある。探せば今も残っているはずだ。
そもそも「オフィシャルが“これはこうなんですよ!”と絶対的に明言しない限り、基本的には受け手の自由なワケ」などと書いてあるところを見ると、まさに「オフィシャル」な作者の発言をめぐっても応酬があったことに気づいていないのかな……
「他人の領域までワザワザ喧嘩を売りに行く」という批判にしても、メカAG氏のブログに書き込んだことはないのだが、「他人の領域」とは何のことだろうか。次の日には「ただ、少なくともオレなら、他人の書評には噛み付かないし、明らかな事実誤認を元にした書評であるならば、メールなりコメント欄なりで本人に直接それを知らせる」と書いているところを見ると、コメント欄は他人の領域ではないということなのか。相手の事実誤認を指摘した上で、「自分の言葉」で感想を書いてはいけないのだろうか。


そうそう、「ゼロ」「ギアス」「ナイトメアフレーム」と背景的な「記号」を並べてみると、それぞれ物語における位置づけが異なることがわかりやすい。
ギアスはCCからもらったもの、ナイトメアは複数陣営が持っている道具、しかしゼロだけは曲がりなりにも主人公が独自に生み出したもの。だからどうしたという話ではないが、個人的な備忘録として書いておく。

*1:http://www.tikuwa.com/index2.html成年向けイラストサイト注意。2008年10月6日。

*2:単行本第11巻。

*3:単行本第23巻。複座型だが、一人でも操縦できる。

*4:実際、キャラクターのみに視点をおいて物語を楽しむことも全くの自由だ。