個人的にはEDダンスよりも、OPにおける朝比奈みくる*1の乳揺れ*2こそ、京都アニメーションに地力のあるアニメーターが集まっていないことを裏付ける象徴と思う。
冗談や釣りでなく、本当に真面目に語ってみよう。
普通に見て、朝比奈みくるの乳揺れに違和感をいだかないだろうか。
仮想の肉体を肉感的に見せる演出というには、動きが不自然すぎて成り立っていない。映画『カウボーイビバップ 天国の扉』で、衣服という拘束から解かれて重力に引かれる女性キャラクターの胸を見ればいい、自然な乳揺れとはどういうものかわかる。この揺れといえないほどの垂れ方は、観客の欲望を喚起する力は弱く、陵辱を行った犯人の悪意を強調する。
観客の情動を起こすため*3という描写にしても、やはり動きが不自然にもほどがある。重みも柔らかさもアニメートで表現されていない。現実味のないアニメ幻想な肉体と見ても、木村貴弘や長谷川眞也に及ばない。
意識的なギャグというには、しつこさが足りない。バカバカしいことを本気でやっていると感じさせるような技量がアニメーターにない。OVA『エイケン』OPや、OVA『マジンカイザー』第4巻のような、明るく乾いた、ギャグとして楽しむしかないような描写というにはキャラクターデザインが現代的に媚びすぎている。
結局、巨乳のキャラクターだから乳を揺らしたというような、極めて記号的な態度、手引書通りの演出としか見えないのだ。
少し前に、女児向け少女マンガを原作とする『きらりん☆レボリューション』第71話を見ていたら、水着をした女性キャラクターが誇示するように胸を揺らしていた。ハルヒOPの乳揺れは同程度の意味しか感じられない。かなりマンガ的なキャラクターデザインで、お世辞にも作画レベルも高いとはいえない『きらりん☆レボリューション』は、乳揺れ作画が下手な程度で浮くことはない。しかし中途半端にていねいな作画で、ディテールも細かく入れている『涼宮ハルヒの憂鬱』では、まるでゴムボールを服の下に入れているような不自然な映像になるのだ。
かつて『プラスチックリトル』という伝説的なOVA作品があった。
その乳揺れ表現に対して『WEBアニメスタイル』でアニメ様が有名な批評*4を書いているので紹介しよう。
WEBアニメスタイル_COLUMN
今回は『プラスチックリトル』の「オッパイ」について書く。この場合は「乳房」とか「バスト」といった言葉では、だめなのだ。「オッパイ」という、ちょっと口に出すのが恥ずかしい言葉が、適切だと思う。別にエロい話をしたいわけではない。すごくマジメな事を書くつもりなので、我慢して最後まで読んでいただきたい。
OVA『プラスチックリトル』がリリースされた当時、そのシーンにショックを受けた僕は、知人にこの作品を薦めまくった。勿論、薦めるポイントがポイントだったので、相手は同年輩の男性ばかりだった。アニメーターの友人はあまりのインパクトに大笑いし、脚本家の友人は「風呂場のシーン以外は、記憶に残らないよ!」と怒り出した。近年になってとあるカリスマアニメーターが『プラスチックリトル』を観ていないと聞いたので、是非観てほしいと言った。彼の感想が聞きたかったのだ。「いや、観なくても大体は見当がつくよ」と言っていたカリスマも、観た後で「あれ程のものだとは思わなかった」とおっしゃっていた。うむうむ。
『プラスチックリトル』で描かれる乳揺れは、アニメーターに高い技術力があるので、幻想的ながら映像として素晴らしいものになっている。
最も特徴的な着替えの場面で「オッパイ」は人体から独立して動くが、けしてゴムボールがアニメキャラクターに接着されたようには見えない。しっかりした肋骨の上を、幻想としての「オッパイ」が乗り、一つの仮想的な肉体として成り立っているのだ。
あえていうならTVアニメの領域では、京都アニメーションの安定性は悪くない。作画レベルも、平均値では同時期のTVアニメで三番手くらいにつけている印象もある。
しかし細部を単独で取り出して評価できるほどの作画や演出がどれほどあるかというと、正直にいって疑問だ。