法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

簡単に返答

少し前から思っていたこととふくめて、良い機会だと思うので。
今回のチベット問題に関する「左派の失策」は素直に認めてもいいんじゃないかなー。 - 想像力はベッドルームと路上から
心情的には、必ずしも返答するべき問題ではないという返答になるわけだが……

例えば今回新風が主催したデモに参加して困惑した人たちって、本来は左派が回収すべき人たちだったんじゃないですかね。それはかなりデカイ機会損失だと思うんですけどね。

ネットにおいて左派と呼ばれる者は、必ずしも右派と協力したくないわけではない。新風以外のまともな保守派*1がデモを主催したなら、それはそれで良かったと思うのではないか。
かつて、半藤一利氏や保阪正康氏の文章を好意的に紹介したことがある*2沖縄戦集団自決問題でも、保守派からの指摘について肯定的に言及したことがある*3
右派がきちんとしたチベット支援活動をできるならかまわない。個々の問題意識にそって手わけすることは運動手法としても妥当だと思う。現実的に考えて、すぐさまチベット支援をしたいなら、新たに団体を立ち上げるより、既存団体に参加したり協力する方が有効だろう。


現に、思想の別なく参加者を求め、一定の成功をおさめたデモがある。支援できるならしたいといった気分は持っているにせよ、運動の独占に意味は感じていない。だから提案には心情的に乗れないどころか、最初から違和感しかなかった。
もともと私は何らかの運動を直接的に支援する文章を書いたことは少ない。出版物やネットの主張を紹介したり批判したりが比率として多いと思う。チベット平和団体コピペに対しても、「リソース」をめぐる運動論より*4、コピペ自体がチベット支援に有害という批判が要点だった。


そもそも、平和団体への批判を全否定したこともない。最初にコピペを批判したエントリの末尾近くを再掲しておく。
自分で耳をふさぎながら「沈黙してる」と騒ぐ人 - 法華狼の日記

「沈黙」を批判することが一概に悪いとも断言したくない。「沈黙」よりは「正答」がいいだろうことも、「正答」を目指すべきだろうことも、また確かだからだ。

コピペを批判するのは、コピペが沈黙批判を越えて正答の足を引っ張りかねない雑音と化しているからだ。比喩を借りるなら、歌い続けて少し休憩しているだけの歌手*5に無断欠席していると言いがかりをつけ、騒いでステージの邪魔をしているわけ。その雑音を消すためにこそ、無駄な力を使う羽目になっている。そもそも沈黙しているだけなら、騒ぐ必要は最初からなかったというのに。騒ぎがなければ、雑音を消すための力を別の場所で有効に使えたのに。これは、アイヌ認知運動問題*6についても同様だ。
普遍性のある問題と知ることは、全ての問題に同じ力を使うことではない。個人の能力に限界があることと、一つの問題にのみ全員の力を注がせることも違う。個々人が別々の問題に向き合いつつ、それぞれの問題に普遍的な繋がりがあると知ることこそ……結果的に集合知として最も広く深く問題と立ち向かえるのではないか、と思う

*1:よく左派との親和性が話題になる一水会に限らず。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20071214/1197642796や、http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20070906/1189032069。ネットでは自虐史観だの極左だのといわれる2人ではあるものの……この話は何度書いたか……問題意識の持ち方などから明らかな保守派だろう。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080211/1202742562「もちろん、沖縄集団自決に対して右派が問題あるとは思わない。他の戦時事件と比べても、立ち位置を問わず批判意識を共有しやすい問題だ。」。そういえばこのエントリを書いた時から、問題を普遍的に見るかどうかは、左右ではなく視野の違いではないかと思っていた。

*4:文章量的にも軽くふれただけだし、Apeman氏のエントリを注記で紹介した際に「有限な能力で何を語るかということを視野に入れた議論」へ言及もしている。

*5:アムネスティジャパンのこと。

*6:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080325/1206485917