法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『発掘捏造』毎日新聞旧石器遺跡取材班著

〜「新聞ジャーナリズムは記者たちが不撓不屈の精神でひたむきに真実を追究する情熱がある限り二十一世紀も不動であると、わたしは信じている」あとがきより〜
日本における前期旧石器遺跡は、藤村新一*1氏1人の手で、「神の手」とまで呼ばれた手で、捏造されたものだった。その発覚により、日本の考古学は20年も巻き戻され、最初からやりなおさざるをえなくなった。
2000年11月5日に捏造を暴いた毎日新聞取材班の、2001年6月20日時点におけるまとめ。大スクープをした報道者としての自負を感じさせつつ、藤村氏の大発見を煽った報道にも問題があると自覚している*2。少し気になることがあったので、目を通してみた。


第一章は、スクープ前における考古学の状況を簡単にまとめ。
報告書を提出しないと次の発掘に移れない石器文化談話会を嫌い、東北旧石器文化研究所を作ったことなど*3、学界が捏造に気づかなかった原因を詳細に。要所に捏造発覚後視点での批判も書かれてあり、この一章を読むだけで、おおむね事件全体を把握できる。
1人のアマチュア研究家が捏造し、自説の根拠を求める専門家が権威付けし、定説となっていったという構図は、他の論点においても気をつけて損はないだろう。もちろん信用している通説に対してもだ*4


第二章は、世紀のスクープにいたるまで取材班が投じた労力、技術、アイデアの紹介。
延々と続ける張り込みの苦労、監視可能な場所の少なさ、監視中に誰も来なかったのに発見された遺跡、やはり「神の手」かと思わせる展開。報道で使われた鮮明な写真と動画を撮影するまで、相当の試行錯誤がくりかえされていたことを初めて知った*5。スリリングな事件取材の記録として純粋に楽しい。
並行して、国内の前期旧石器遺跡に懐疑的な学者や研究者からも情報を集める様子が書かれ、藤村氏の業績にどのような疑問点が存在するか、自然に理解できる。


第三章は、鮮明な証拠の撮影、本人取材で得た自白、報道直後の状況まで克明に。
録音を文字起こししたらしい藤村氏への取材は、文章だけでも重苦しい雰囲気を感じさせ、胃が痛くなってきた。
藤村氏と協力して発掘していた研究者や学者が現実を認めたがらない姿も重い。1人は禅宗の僧侶でもあり、もう1人は専門に学んだ大学教授だった。それでも人は、自分が信じたいことを信じてしまうものと思い知らされる。


第四章では、捏造発覚後にゆれる考古学界や社会の動きについて。
考古学に限定されない、国家の歴史観をうかがわせる記述も多かった。特に大槻教科書課長の話が面白すぎる*6

 毎日新聞の発掘ねつ造報道の翌一一月六日、徳島大学であった考古学概論の授業で、北條芳隆助教授は五七人の学生にねつ造について意見を書かせた。藤村氏らの「発見」が教科書に載ったことに対し、半数以上の学生が厳しい意見を寄せた。
「報告書も出ていない遺跡が、なぜ教科書に載るのか」
従軍慰安婦やアジアへの侵略について、文部省は証拠の不十分さをあげつらう。今回の安直な取り扱いとの落差はいったい何だ。検定制度のいいかげんさには腹が立つ」――。
 上高森遺跡の調査報告書は、発掘が始まった九三年以降、ねつ造の発覚までいっさい出ていなかった。文部省の大槻達也・教科書課長は「報告書が出て学術的に検証されるまで何も記述できないのか。大きく報道され世間に浸透しているという見方もできるのではないか。南京(大虐殺)などのケースと一緒にされても困る」と、検定制度が比較対象になることに当惑気味だった。

たしかに「アジアへの侵略」を比較対象にする絶対的な理由はないかもしれないが、大槻教科書課長の説明もまた奇妙だ。学術的検証より、大きく報道されたことを優先する歴史教科書とは……なるほど、裁判が進行しているというだけで沖縄集団自決の軍強制記述を削除させるわけだ。
他国の報道も紹介され、日本の考古学が国内にとどまり海外との比較が進んでいないことや、遺跡の古さを競うことは日本の民族主義に由来しているのではないかという指摘もされていた。


冗長さを感じさせない平易な文章で読みやすく、発掘捏造の背景から発覚後の余波、再生を目指す考古学界の姿まで、広い視野でまとまっている。そして藤村氏の個人情報は、考古学へ興味を持った過程や捏造の足取りに限られ、無用なプライバシーを明かさない。報道者としての節度が感じられ、読んでいて不快にならない。
やや古くなった感はあるものの*7、発掘捏造に象徴される考古学の課題、そして日本人の歴史に対する観点の問題まで、手短に把握できる好著だった。

*1:東北旧石器文化研究所副理事長。専門的な教育を受けていないアマチュア考古学者。ただし考古学における発見は、在野のアマチュア研究者による協力も大きな位置をしめる。

*2:著作権や同業他社に対する遠慮もあってか、藤村氏の業績を伝える記事は過去の『毎日新聞』から引用している箇所が多い。

*3:26頁

*4:私が興味を持つ前に発覚していた事例だが、従軍慰安婦朝鮮半島における暴力的強制連行を記述した吉田証言がある。後に吉田氏は、少なくとも時間や場所を編集したと認めた。吉田証言のため、実際の率では人身売買が多かったと判明するまで、無用な手間がかかってしまった。旧石器でも、中期や後期の遺跡は信頼性があるのだが、藤村氏の捏造によって疑問符がつけられたりした。

*5:支局とはいえ、それなりに大きな新聞社が夜間撮影可能な機材を持っていない、つまり盗み撮りするような取材をすることがほとんどないという点も興味深い。

*6:166頁。

*7:出版後における考古学の動きについては『古代史捏造』という書籍でまとめなおしている。