法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

被爆者の講話を校長がさえぎり、校長室で「写真はでっちあげだ」とか「自虐史観だ」とか主張していた件について

http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagasaki/5033785071.html
問題の報道はNHKが報じて、いつものように早々と記事は消えたが、ハフィントンポスト等に該当する記述が引用されている。
長崎の被爆者が中学校で「原発よくない」と話し始めたら、校長が遮った | ハフポスト
毎日記事などでは「被爆体験だけを話すという約束で依頼したが、約束と違っていたのでやめるようお願いした」*1とも校長はいっていたようだが、せめてそれだけを理由にするべきだった。


はてなブックマーク等を見ると、被爆者が証言できるのは原爆に対してだけだというコメントが複数ある。写真がうたがわしいという校長の主張に賛同するコメントもある。
はてなブックマーク - 被爆者講話 校長が遮る - NHK長崎県のニュース
しかし被爆体験だけを語る時であっても、まったく日本軍の加害にふれられないわけではない。
当時に子供だった証言者の、その時点での認識のみで語るならば、たとえば「原爆」という名称も使えない。被爆証言というものが、戦後を被爆者として生きつづけた知見をふくめて語られたとしても、それを防ぐことはできない。
もちろん証言者が見ていない範囲を語っても証言となるわけではない。むしろ証言を支えて補完する材料だ。その材料が明らかに学問に反した主張であれば、支えようとした証言の価値をも落としてしまうかもしれないが、今回はそういう事例*2とは異なる。


それにしても、日本軍の加害写真の多くが捏造という主張は、今では力を失っていると思っていた。
下記ページで検証されているように、捏造という根拠こそ多くが薄弱で、いくつかキャプションの誤記などは見られても意図的な捏造と思われるものはほとんどない。
写真索引
もしキャプションが誤記されていた写真を捏造あつかいしていいというなら、某歴史教科書で原爆投下写真がとりちがえられていた件はどうなる。
広島原爆投下と長崎原爆投下の写真とりちがえは「あるある」ではある - 法華狼の日記
そして加害写真の捏造説を広めていた東中野修道氏などは、名誉棄損裁判において「原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」*3という評価を地方裁判所にくだされていた。その評価は写真とは別個の証言に対してだったが、歴史研究者としての信頼性をしめすには充分なエピソードだろう。

*1:http://mainichi.jp/edu/news/20150731ddlk42040322000c.htmlこの毎日記事で「歴史認識は難しい面があり、子供にうそや間違った情報を与えてはいけない」とも校長が主張しているのは、NHK記事と比べて味わい深い。

*2:「当時を知る韓国人(88歳)が殺されるのを覚悟で真実を語る」という嘘 - 法華狼の日記

*3:だから言わんこっちゃない|みどり共同法律事務所