法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『それでもボクはやってない』評価に少し落胆

ネットを検索した限り、評価はけして低くない。相当に広い層に向けて訴えかける力はあるようだ。
しかし、高評価しているブログや日記で前後に書かれた報道評を見ると、刑事事件の容疑者に対して必ずしも理解を持っているようでもない。
常に冤罪を疑えとまではいわないが、業務を果たしているだけの弁護士を誹謗中傷したり、不当な捜査を行ったという報道を見て警察を擁護したり、容疑者に対する人権侵害を正当化したり……死刑賛成論を主張しながら冤罪を考慮しない例もふくめていいかもしれない。酷い例になると、映画感想と同時に現実の容疑者を非難していたりする*1


下記エントリは昨年に書かれた文章なので、個別に批判するつもりはない。むしろ引用した末尾の文章からは、かなり自覚的に見ている人だと思う。
なお、引用先の強調表現等は略している。
http://blog.sakt.org/e951.html

まぁこの映画は被告人側の視点に立って展開されるから、
その辺の印象が加味されてるのは否めませんが
光市母子殺害事件のような弁護人も少なからずいるわけで、
もしこれが被害者側の視点だったらまた違う印象になるんだろうなぁ。

そう、映画の弁護人と、光市母子殺害事件の弁護人に大きな違いがない。
たとえば裁判所が提示した期日を別の案件が入っているからと、別の日に変えてもらう場面がある。最高裁欠席問題にも通じる部分だ。
逆に検察側の視点でも、痴漢事件の被告に重罰を科す理由として、幾度となく「被害者感情」について言及されている。


映画の内容は痴漢冤罪にとどまらず、他の冤罪が生まれる経緯も射程に入っている。主人公が痴漢かどうか最後まで明確にしないことで、弁護の重要性が真犯人かどうかに左右されないという主張も織り込まれている。
そういう映画を見て、他へ視野を広げることができず、痴漢冤罪しか問題視できないのでは哀しい。


ホテル・ルワンダ』を観に行き高評価をくだしながら、パンフレットで関東大震災での朝鮮人虐殺が言及された途端に反発する人々*2がいた。
『ホテル・ルワンダ』なんか何の役にも立たない! この人を見よ! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。

虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、

私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、

ルワンダみたいな状況になった時、ポールさんのように行動できる人間にならなければ。

作家が、受け入れやすい題材を導入に選ぶのは当然だろう。基本的に批判するべきことではない。それで意図通り広く受け入れられる結果をもたらしたなら、むしろ称賛に値するだろう。
問題は、受け入れやすい入り口から動かない観客にもある。自分が被害者となりえる状況しか想定せず、他者や現実に応用することもせず、固有性から普遍性を読み取らない。
物語を遠い世界のこととしか感じられないのでは、少しばかりもったいない。

*1:あまり個人叩きの意図はないので、ここで個々の具体例は出さない。

*2:エントリで批判されているのは1人だが、ここから始まった騒動で他にも反発する人が出てきた。