法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ルワンダの涙』

1994年、ルワンダ共和国の首都キガリに、キリスト教系の公立技術学校があった。
そこではイギリスから来た若い英語教師と、すでに根づいた老神父がつとめていて、周囲にしたわれていた。
しかしある日、大統領が暗殺されたと報じられ、フツ族の青年が英語教師のもとを離れた。
まもなく虐殺がはじまり、公立技術学校に現地人が押しよせる……


マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督による2005年のイギリス映画。ルワンダ虐殺にたちあったBBCスタッフの体験談をもとに、BBCが製作した*1
BBC - Shooting Dogs - BBC Films
原題は“Shooting Dogs,”という。これを意識した邦題をつけるなら「犬なら撃てる」といったところか。現場にいながら介入できない国連軍が、死体を食いに集まった犬に対してだけ射撃の許可が出たという、劇中のやりとりを引いたものだ。
この映画そのものはフィクションだが、実際に起きた事件を題材にして、虐殺現場を撮影場所に使って、撮影スタッフにも虐殺被害者が多く参加している。


ホテル・ルワンダ』が状況に対する英雄的行為を描いた劇映画とすれば、『ルワンダの涙』は状況そのものを克明に描写した劇映画といえる。
個人の英雄劇ではないので、娯楽らしい高揚感は抑えられている。物語のまとまりは少し足りないが、隣人が信用できなくなる恐怖という一面ではすぐれていると感じた。
基本的には、公立技術学校を舞台にして、たちあった外国人の視点で描いていく。現地人の視点は切りすてており、いわゆる群像劇とは違うのだが、それでも多角的に虐殺そのものを見つめている。BBCの虐殺目撃者が共同脚本を担当して、あくまで外国人が監督しているという限界を、制作者が自覚しているつくりだ。
主な視点を担当するのは、現地語を話せない英語教師と、現地語に通じている神父*2。状況に精力的にかかわろうとする若者と、一歩引いた立場で会話をつづける老人。ふたりの現地への距離感が、状況の進展とともに異なる顛末をむかえる。


虐殺がつづくにつれて外国人も攻撃を受けるようになり、それでも必要にせまられて青年教師は街を探索する。古ぼけたトラックで誰もいなくなった街を疾走する。
あくまでドキュメンタリータッチのドラマだが、構造としてはホラー映画を思わせる。学校のフェンス越しに集まっているフツ族。誰もいなくなった街。あちこちに見える虐殺の痕跡。建物の陰に隠れた何かの影。なかなか暴力を正面から映さず、それが観客の恐怖をよびおこす。
生存者の英雄劇ではないので、技術学校に逃げてきた人々はもちろん、青年教師と老神父が生きのびるかどうかもわからない。街で出会う人々が虐殺に加担しているかどうかもわからない。混迷した状況を切りぬけるサスペンス映画としても完成されている。


そして事態が進行するにつれて、虐殺を起こしたフツ族と、虐殺されたツチ族、それぞれの人格も見えてくる。
たとえば『ホテル・ルワンダ』では主人公個人での共同体管理をせまられた。この作品では、学校の避難民は代表者の合議で生活を決めており、同席した神父は助言する立場にとどまる。名も無き避難民でも、それぞれに思考する個人であることを描いていた。
一方、最初に紹介したようにフツ族の好青年も登場して、消化しがたい存在感を残す。その家族を英語教師に紹介する場面が、公式プレビューで見ることができる。

青年が英語教師から離れ、鉈を手にとったのは、ツチ族の襲撃をおそれたためだった。隣人が信用できず、大切な人の身を守るために武器を手にして、それが虐殺につながったという一面が示唆される。再登場した時、青年は虐殺に使ったのであろう鉈を背後に隠す。外国人に警戒されないためかもしれないし、どこかで自分の行為を恥じているからかもしれない。いずれにせよ、そこにいたのは怪物ではない人間だったのだ。
青年の家族にいたっては、すでに虐殺が始まった後も家にいて、少なくとも外国人には敵意を見せない。自家製のひどくまずいバナナビールを、初対面と同じように英語教師へすすめる。


この物語に登場する人々は、状況を大きく変えることはできないが、状況を構成する一要素であることも確かだ。
組織としての宗教が手を引いても、個人の信仰が道しるべとなりうる。その道しるべにしたがった行動で小さな輝きが灯されることもある。
すべてが終わった後、あの出来事は何だったのだろうと人々はふりかえる。忘れることができない歴史として、1994年のルワンダが描かれた。

*1:劇中で、虐殺の進行を世界へ訴えようとして、現地にいたBBCに連絡をとろうとする場面がある。報道が無力なまま撤退してしまう結末のための手順とは理解するが、BBC作品でBBCに期待する台詞が出てきたことには、いらだちをおぼえてしまったのも正直な感想ではあった。

*2:この対比を確かめるため、できれば吹き替えで鑑賞することをすすめる。英語のみを吹き替え、現地語は字幕であらわすことで、教師と神父のルワンダとの距離感がそのまま体感できる。