法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

南京箱に入れられた猫

エントリそのものではなく、id:gerling氏のコメントに対して。
「どっちもどっち」なんてことが言えるのは… - Apeman’s diary

どっちもどっちで、イエスかノーだけじゃないと言う人は、南京事件は70%ぐらいあって、30%ぐらいなかったなんてシュレーディンガーの猫みたいな事態があると思ってるんですかね。
前向きな議論とか、建設的な議論とか、言うのがこの場合具体的になにを指すのかよく分かりません。あったかな買ったかがまず問題であって、、それをどう受け止めるのはそのあとだと思いますけれども。

今回の騒動は、これを争う域にも達していない。それはそれとして、逆に歴史では、全く対立する説が同時に妥当な内容ということがある。
有名なのは邪馬台国畿内説と九州説。近畿と九州、一方が正しければもう一方が間違いだが、どちらも歴史学的に相応の妥当性が認められている*1
南京事件でも被害者数などは数万人説から数十万人説まで、それぞれに妥当性がある。中国説にしても百万都市であった南京で、軍民合わせた死者と考えてありえない数字とも言い切れない。裁判に合わせて急ぎ証拠を集めたらしいが、それを完全に覆せるだけの材料は少ない。だから中国説を安易に否定することもできない。
歴史修正主義者の説を邪馬台国に当てはめると、偽書を根拠に邪馬台国の位置を特定したという主張に近い。もし偽書根拠の邪馬台国位置が正解に近かったとしても、ただの偶然であって学問的な価値はないというのが普通の反応だろう。


虐殺の有無という、はっきりさせやすい争点で「どっちもどっち」と両方の説に説得力を持たせようとする。
虐殺された数という、はっきりしにくい争点で「多いという証明がない」と一方の説を絶対視する……
同一人物の考えではなくても、南京事件否定派が妥当性というものを恣意的に扱っていることがよくわかる話と思う。

*1:畿内説が有利らしいとも聞くが。