じゃ、3分で読めるようにまとめましょう - Apeman’s diary
安易な「差分」の説明要求に意味がないというApeman氏の批判は妥当で、エントリ自体が壮大な皮肉なのだが、あえて別方面から説明。
「南京大虐殺」と、固有名詞に「大」がついて特別に扱われること、それ自体を疑問視する人々は、昔から存在する。
戦争犯罪を普遍的な問題としてとらえようと考えた結果なら、そう批判はしたくない*1。しかし戦争犯罪を相対化し矮小化しようという態度であれば問題だし、そういった歴史問題を矮小化しようとする思想に無自覚な加担をするようであれば批判せざるをえない。
fromdusktildawn氏も、一見すると普遍的な問題でとらえようとする態度はしている。
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ちなみに、私個人の考えでは、南京事件を特別視せず、
日本人が過去に行った全ての戦争における
「よくある」虐殺・レイプ全てについて、
日本自身が積極的にその事実を認め、各国に謝罪をして
回るべきだと思っている。
そして、その上で、世界中の他の国の全ての戦争中の
「よくある」虐殺・レイプについても、非難し、謝罪を求めて回る
といいだろう。
では何が誤りなのか。
そもそも象徴的に扱われ、大袈裟な名前が定着することは、それほど奇妙なことだろうか。首都での状況が象徴的に扱われていると考えれば、とりあえず充分ではないだろうか。
日本に対する無差別空襲でも、東京大空襲に「大」がつき、神戸空襲*2に大がつかないことを思い出せば、その気分を連想するのはさほど難しくないだろう。
原爆投下を念頭に置いて、「ヒロシマ」という表記を使うことも同じ。広島長崎*3それぞれ個別の問題をかかえる原爆投下で*4、広島が多くの注目を集めている。
この場合、もし批判するとすれば広島以外に目を向けない態度に対してであって、広島に目を向けることに対してではない。
歴史で特筆される物事に、明確な「差分」がどれほどあるだろうか。
興味を持つ人の多さ、物語にとりあげられる頻度、研究費の出されやすさ、関係者の声の大きさといった様々な要素がからみあって著名度が決まっていく。専門領域でも流行り廃りが存在するし*5、素人談義ならばなおさらだ。
だいたい、はてなダイアリー界隈で南京事件が語られるのは最近に始まったことではない。ここ数週間で急激に注目を集めていること自体が、問題の注目度と重要性の不一致を証明している。
特別な名称は「差分」に対してではなく、それぞれの「固有性」に対してなされる。
「よくある」ことを「よくあってはならない」こととするために、それぞれの問題点を把握するために、個別に研究されていく。
「よくある」戦争犯罪の、個々に名前があり、記憶する犠牲者がおり、研究する学者がいるのだ。