法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

歴史で諸説あるということを、邪馬台国と南京事件でたとえてみる

とりあえず努力目標として、難しい話題と知っているなら、はっきり責任を持っていえることだけを発言しよう。


たとえば、邪馬台国がどこにあるのか、歴史学でも諸説ある。有力な説として九州説と畿内説の二つに大別され、近年は後者の説得力が高まっている。しかし諸説あるからといって、邪馬台国がエジプトにあったという珍説までが妥当な学説となるわけではない。
http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/kimura/kim_yama.html
南京事件の諸説紛糾も同じように考えることができる*1。犠牲の大きさには諸説あり、漠然と多すぎるという感覚で受け止められている犠牲者30万人という中国側主張も、歴史学で間違いと見なされているわけではない。たしかに日本の歴史学者は採用していないが、不採用であることと否定することは同一ではない。過去には、少数説をとなえている学者ですら、相手に「訂正」させるような数字を日本が持ち合わせていないことを日本政府へ指摘していた。
「30万人殺害されたとは言い切れない」と「30万人も殺されていない」の間の差 - Apeman’s diary
こうして南京事件の範囲や犠牲者数には諸説あるわけだが、だからといって父親が復讐されなかったからなかったとか、占領後の三日間で虐殺が目撃されていないからなかった*2とかいう主張まで歴史学で認められるわけではない。


たとえ採用していない説であっても、いつ誰が主張したものか論じることはできる。邪馬台国畿内説の学者が、九州説の学者を見当違いな批判から弁護することだってできるだろう。それどころか、過去から様々な珍説が存在することを指摘するため、戦前から邪馬台国エジプト説が存在していることに言及することも可能だ。
南京事件でも同様だ。犠牲者40万人以上という説を採用していなくても、その説が戦後すぐから存在していることや、その説が日本国内でも1980年代以前から有名なことを指摘することは可能だ。
何より、犠牲者40万人以上という説が妥当かどうかとは別個に、過去からその説が存在していることははっきりといえる。


さらにいえば、諸説あると一言でいっても、複数の説が実際に事実関係で対立しているかというと、必ずしもそうではない。
邪馬台国の比定地に奈良県纒向遺跡を指摘する有力説がある。これは大まかに近畿のどこかが邪馬台国であったと主張する畿内説と同一ではない。しかし畿内説にふくまれうるといってもいい。畿内よりも範囲をせばめて考察した一説ということだ。矛盾すらしていないが、同じ畿内説論者でも他の比定地を有力と見ていたり、まだ断言するべきではないとして、纒向遺跡説を不採用にすることは考えられる。
南京事件の中国側主張も実際は似ている面がある。日本国内の学者と犠牲者数が異なる要因に、「南京」が指す範囲の差異や、軍人の被害をどこまで犠牲者にふくめるべきかという差異もある。むろん日本国内の学者でも、みなす範囲に違いがある。
二十万都市で三十万虐殺?
つまり、南京事件における複数の説は、起きた事実を推測する数字に必ずしも大きなへだたりがあるわけではない。どちらかといえば、日本軍の行った殺害をどこまで虐殺と呼べるか、そして一つの事件としてひとくくりに論じるべきか、という価値評価の対立なのだ。

*1:むろん当事者が生存しているような差異はある。

*2:http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012022401002195.html