法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

海外シリーズ最新作『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』の予告編1が公開

監督が『ラドン』を愛好しているという話を聞いたことがあるが、実際に公開されたシーンの多くがラドンの猛攻にあてられている。

2014年版の予告*1より怪獣が前面に出つつ、よりディザスタームービーを思わせる映像にもなっている。
氷漬けのキングギドラは、『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』のオマージュだろうか。となるとバラゴンの位置にラドンが当てはめられているのだろうか……などと想像させられて楽しい。


ラドンの活躍は、最新兵器に対抗しつつ世界に影響をあたえる存在感を怪獣に求めようとすると、やはり飛行能力が便利ということもあるだろう。
実際、予告などから登場が判明している怪獣で、飛行能力がまったくないのはゴジラのみ。他の怪獣と対比的に、2014年版よりも茫洋とした肥満体に見える。
ハリウッド版ゴジラ続編、キングギドラ・モスラ・ラドン登場の予告編公開! - シネマトゥデイ

マイケル・ドハティ監督が、「ゴジラモスララドンキングギドラ……それにもう少しだけサプライズがあるよ」と明かすと、会場からは歓声が沸き起こった。

ドハティ監督は、これまでは脚本仕事が多いらしく、実際に私が見たのも脚本だけの『X-MEN2』くらい。『クランプス 魔物の儀式 』という監督作品もあるが、残念ながら未見。

『悪女/AKUJO』

犯罪組織の暗殺者として育てられたスクヒは、師の復讐のため敵対組織をひとりで壊滅させる。
警察に逮捕され、今度は治安組織の手先として訓練を受けたスクヒは、工作活動を始めるが……


『殺人の告白』*1チョン・ビョンギル監督による、2017年の韓国映画

前作がストーリーもアクションも濃厚すぎてバランスが悪かったことに対して、今作は簡素なストーリーにのせた膨大なアクションでわかりやすく楽しませる。
ただし、物語をアクションの動機づけとわりきりすぎているので、あまり驚きがないし、くりかえし楽しむには薄すぎる。治安組織の陰謀による主人公のラブストーリーなど、韓国ドラマの表層的なパロディのようで、単純に見ていて面白味がない。時系列を激しく前後させているのも、スクヒにしかけられた罠をひとつ描くためでしかない。
題名に反して、スクヒ自身の主体的な行動が少ないのも残念だった。組織の指示か陰謀で動かされているだけで、かろうじて自身で選んだ決戦すら予定調和。もっと治安組織のシスターフッドを描いても良さそうなところ、誰もが物語の役割りを終えると消えていく。


ただ、映像はアクションに関係ない場面でも作りこんでいるので、物語に邪魔されずビジュアルを楽しむ作品としては悪くない。
まずアバンタイトルの1カットPOVアクションから手間がかかっているが、ここはフェイクドキュメンタリー系統に前例はある*2。わざわざ手元で弾切れを確認する動作*3など、いかにもFPSゲームのパロディで、あえて迫真性は放棄しているかのよう。

重要なのは、こうして手間暇をかけた手法すら、終盤ではなく冒頭で使い捨てていること。その余裕と潔さこそが印象的だ。POVから自由になったカメラは、1カットのまま空間をかけめぐり*4、解放されながらも重力にひきずられてタイトルへつながる。
1カット演出は以降もアクションに限らず多用されている。施設から脱出しようとするスクヒの幻惑感を実感させたり、冒頭のスクヒにしかけられた罠を映像だけで説明したり。もちろんクイックPANや一瞬の暗闇でつないでいるだろうが、計算して手間をかけていることは間違いない。それをいくつもの手法と状況で活用することで、ひとつひとつは斬新でなくても、目新しい印象を作りだして飽きさせない。
クライマックスの決戦についても、突入時はともかく室内での戦闘は邦画でも達成できそうに見えて、アバンタイトルのリフレインから笑えるほど素晴らしい命がけの大活劇へ発展していく。アクションそのもののクオリティに依存しすぎず、けっこうクレバーに観客の期待をコントロールしている。


良くも悪くもアクション描写の宝石箱のような作品で、全体を印象づけるカラーは意外とないのだが、ひとつだけ気になる演出がある。
それは、「窓」を破るというシークエンス。さまざまな動機で登場人物は窓を破っていくが、1カットで情景を変えるために窓をつきやぶって移動するという、ゲームステージ的な演出で特に多用されている。それが状況から逃れようとする登場人物の心情を映しとっている。
そう思えば、スクヒが暗殺を失敗する場面で敵が窓の向こうにいるままなことや、決戦のカーチェイスでわざわざ危険運転をしたことにも、映画演出らしい示唆がある。

*1:『殺人の告白』 - 法華狼の日記

*2:TVドラマ『タイムスクープハンター』では槍を使う変化球まであった。

*3:公式公開の冒頭映像で1分10秒ごろ。

*4:どれほど小さい撮影機材でも、鏡張りの壁に映らないようデジタル処理する必要があるはずで、それを自然に見せる技術力も地味にすごい。

『チョン・ウチ 時空道士』

500年前の朝鮮半島で、幻術で周囲を惑わし民衆を愛する道士チョン・ウチがいた。しかし封印を解かれた妖怪の奸計で、師匠を失い、自身も封印される。
しかし、それらの伝説は誇大妄想な男がカウンセリングで語る主張にすぎない。現代の韓国に、妖怪や仙人や道士などいるはずもない。ないはずだ……


人狼』と同じカン・ドンウォンが主演する、2009年の韓国映画。実在した風水師の田禹治*1をモデルに作られた、ワイヤーアクションとVFXを満載した軽快な娯楽活劇。

4th CREATIVE PARTYが担当するVFXのクオリティはそこそこで、たぶん日本の白組より少し劣るが、統一されているので全体として成立しているし、量が多いので満足感はある。
冒頭で回想される妖怪が最もゲームCGっぽい質感で、本編に入ると大規模なオープンセットでそれなりのCG妖怪が戦うという順序がいい。観客の期待度をうまくコントロールしている。


物語は、邦題で「時空道士」とあるように、500年の時を超えて戦うことがポイント。前半40分でたっぷりファンタジー時代劇を楽しませてから、後半90分で現代を舞台にファンタジーアクションを展開する。
復活したチャンウチが現代文明に驚いたりと、アクション以外の見せ場も多いのは、韓国映画らしいサービス過多とは感じる。過去か現代の一方だけを舞台にすれば、ずっと映画としてのまとまりは良かったろう。
しかし、妄想としか思えない伝説が現実化する場面でサプライズがきちんとあるし、わざわざ妄想として提示される動機も示されている。それを中盤で終えず、終盤でも再活用される。
他にも劇中で映画撮影がされていたり、虚構と現実が侵犯しあいながら、娯楽らしくきちんと答えを出して、メタフィクションとしての納得感があった。特に、最後に主人公のたどりついた風景が、虚構を指針とした現実の大切さを象徴している。
チャン・ウチと従者が女好きで、いかにも甘ったるい男女のラブストーリーになりそうなところを、ファンタジー設定でうまく距離をとったことも良かった。姿形を自由に変えられる設定の物語だからこそ、大切なものが他にあると示せすことができる。

*1:全24話で時代劇としてドラマ化もされている。BS朝日 - チョンウチ

『デス・レース2000年』

全体主義化したアメリカ連邦で、大陸を横断しながら轢殺する人数を競うカーレースが人気を集めていた。
今回は個性たっぷりの悪趣味な5チームでスタート。しかしその内部に、抵抗者がまぎれこんでいた……


B級映画の帝王ロジャー・コーマンが1975年に製作したブラックコメディSFで、カルトな人気がある。日本公開の40周年記念として2017年に再上映されたばかり。

ひとことで表現するなら、低予算で悪趣味なチキチキマシン猛レースといったところ。パンとサーカスポピュリズム独裁国家が、ブラックコメディとして描かれる。
遠未来らしさの表現はスタート場面の背景合成くらい。明らかな低予算映画ではあるが、意外とSFらしい画面になっている。ブレイク直前のシルベスタ・スタローンをライバルに配役できたという幸運もあるし、他の俳優もそこそこ良い顔がそろっている。
無駄な装飾たっぷりのレースカーも、奇抜なコスチュームとあわせて、そういうリアリティの作品として成立している。いわばアメコミヒーロー映画のようなもので、見ながらティム・バートン監督版の『バットマン』を思い出した。
レースシーンは早回ししているにしてもスピード感がけっこうあり、荒地を無理やり走って轢殺しようとする場面も期待以上に迫力がある。罠にかかるかかからないかとジリジリさせる演出も地味にていねい。
道路に近づくと合法的に轢殺されるという設定も意外な効果がある。コースとなる一般道に観戦者がいなくても説明がつき、エキストラが少なくても問題にならない。それどころか道路や都市に人影のまったくない情景が、ディストピアSFらしい荒涼とした雰囲気に昇華されていた。


1時間半に満たない上映時間のおかげもあって、ひとつのレースを描くだけなのに、飽きる場面がない。レジスタンスの妨害がレースを狂わせたり、休息場面でドラマを展開させつつ、ひとつのゴールに向かって物語がぶれない。
轢殺されるのは、レースの狂信的なファンや、度胸試しするチンピラなどの、いくつかの例外だけ。おかげで嫌悪感が強すぎず、血が噴出して肉体が切断される描写がブラックな笑いを生みだす。複雑な後味の結末もふくめて、デスレースの設定のバカバカしさを自覚的に描写し、そのようなバカバカしいことに熱狂してしまう社会の恐ろしさを風刺していた。
チーム同士の対立もけっこう良くて、特にカウガールとネオナチの女性レーサーふたりが気にいった。レースも日常もいがみあい、一方のナビゲーターを轢殺するような激しさだが、一方がレジスタンスに殺された時は心から悲しむ。TV画面で表層的な哀悼をささげるだけかと思いきや、やがて本心から敬愛していたことが明かされる。これはもう百合映画といっても過言ではない。いやもちろん過言ではあるが、違う時代に制作されたらB級映画らしくレズビアンシーンを挿入しただろうな、と思えるくらいの関係性とは感じられた。
黒ずくめで全身を隠した主人公フランケンシュタインの、いくども事故にあいながら移植手術で復活したという設定も、ディストピアSFらしい真相がきちんとある。仮面に隠されているのは極端な醜悪か美形という定番を期待するところ、けっこうガッカリする素顔だが、その落差に自覚的な台詞があるし、物語をとおして主人公らしい顔立ちに感じさせてくれる。

『エイリアン:コヴェナント』

未来世界で、人間そっくりで知能をもつアンドロイドが誕生した。しばらくの後、宇宙を進む開拓船が事故を起こし、未知の惑星にたどりつく。
まず少人数が小型船で降りたその惑星には、先に別の人々が漂着して亡くなっており、ひとり残されたアンドロイドが手をさしのべてきたが……


『エイリアン』シリーズの6作目にして前日譚2作目として、2017年に公開されたSFホラー映画。シリーズ1作目と前日譚1作目のリドリー・スコット監督が手がける。
映画『エイリアン:コヴェナント』オフィシャルサイト

機会があって無料で鑑賞。前日譚1作目『プロメテウス』の評判が異常に低いこともあり、そちらは未見のまま前日譚2作目から見ることになった。
前半までは独立した内容らしく問題なかったし、全体としても1作品として完結していて、物語を追うことは難しくない。
ただ中盤の情景などを見ると、やはり『プロメテウス』を先に見ておいたほうが良かったらしい感じはした。


そして映画そのものの感想だが、ホラーファンの評価が前作よりは高いことと、シリーズファンの評価が前作くらい低いことの、両方が納得できる内容ではあった。
シリーズ1作目が宇宙船を城に見たてることでゴシックホラーを宇宙SFとして展開したように、孤島に漂流して惨劇に直面する古典ホラーを宇宙SFとして展開。
冒頭で事故にあう開拓船からして、帆船を思わせるデザインになっている。過去のシリーズで人間の脅威となったエイリアンも、今作はアンドロイドの思惑の範囲で動く。
まさしく古典SFホラー『モロー博士の島』の翻案という印象だ。
実験記録 No.02 : 【日本語訳】モロー博士の島(The Island of Dr. Moreau)

海難事故によって遭難し漂流するエドワード・プレンディックは奇妙な船に救出される。 動物を満載したその船は名も無い小さな島に向かい、そこでプレンディックはモローという名の科学者と出会う。 モローはこの島である「実験」を行なっていたのだ。


リドリー・スコットが多用する視界をさえぎる演出も、恐怖をもりあげる。約2時間という尺も、現代の大作SFとしては無駄を省かせて、間延びを感じさせない。
過去のシリーズが1作ごとの結末で完全に危機を脱したこと*1に対して、今回はホラー映画としても後味が悪いのだが、荘厳な雰囲気は嫌いではない。
それでいて過去のシリーズを思わせる要素も多い。着陸後の闘争が物語の大半をしめるところは2作目で、宇宙船内の追いかけっこは3作目で、変容したエイリアンのデザインは4作目といったところ。


ただ、過去のシリーズがエイリアンの謎と恐怖で物語を動かしたことに対して、あくまで便利なキャラクターだったアンドロイドを物語の中心にしたことは、シリーズの主題そのものが変わった印象はある。
怪物でありながら底知れない恐怖をはらんでいたエイリアンが、アンドロイドの手のひらの上で人間を襲うことも矮小化と思わせる。どこかアンドロイドの思惑をエイリアンが超える場面もほしい。
事故後の難破船らしさを強調するためだとしても、開拓船の技術が前日譚にしては先進的すぎる違和感もある。過去のシリーズで描かれた宇宙技術が、当時のSFでは珍しい泥臭さが魅力だったからこそ。

*1:1作目ではエイリアンの増殖を示唆する場面も撮影されていたが、編集で削除された。アクションホラーに徹した2作目は、最終的にカタルシスたっぷりの勝利にむすびついた。もっとも、そのように事態を解決しながら新たに作品をたちあげるため、3作目などでは前作の救いを否定する場面から始めてしまい、2作目ファンの不評を買ってしまった。