法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『デス・レース2000年』

全体主義化したアメリカ連邦で、大陸を横断しながら轢殺する人数を競うカーレースが人気を集めていた。
今回は個性たっぷりの悪趣味な5チームでスタート。しかしその内部に、抵抗者がまぎれこんでいた……


B級映画の帝王ロジャー・コーマンが1975年に製作したブラックコメディSFで、カルトな人気がある。日本公開の40周年記念として2017年に再上映されたばかり。

ひとことで表現するなら、低予算で悪趣味なチキチキマシン猛レースといったところ。パンとサーカスポピュリズム独裁国家が、ブラックコメディとして描かれる。
遠未来らしさの表現はスタート場面の背景合成くらい。明らかな低予算映画ではあるが、意外とSFらしい画面になっている。ブレイク直前のシルベスタ・スタローンをライバルに配役できたという幸運もあるし、他の俳優もそこそこ良い顔がそろっている。
無駄な装飾たっぷりのレースカーも、奇抜なコスチュームとあわせて、そういうリアリティの作品として成立している。いわばアメコミヒーロー映画のようなもので、見ながらティム・バートン監督版の『バットマン』を思い出した。
レースシーンは早回ししているにしてもスピード感がけっこうあり、荒地を無理やり走って轢殺しようとする場面も期待以上に迫力がある。罠にかかるかかからないかとジリジリさせる演出も地味にていねい。
道路に近づくと合法的に轢殺されるという設定も意外な効果がある。コースとなる一般道に観戦者がいなくても説明がつき、エキストラが少なくても問題にならない。それどころか道路や都市に人影のまったくない情景が、ディストピアSFらしい荒涼とした雰囲気に昇華されていた。


1時間半に満たない上映時間のおかげもあって、ひとつのレースを描くだけなのに、飽きる場面がない。レジスタンスの妨害がレースを狂わせたり、休息場面でドラマを展開させつつ、ひとつのゴールに向かって物語がぶれない。
轢殺されるのは、レースの狂信的なファンや、度胸試しするチンピラなどの、いくつかの例外だけ。おかげで嫌悪感が強すぎず、血が噴出して肉体が切断される描写がブラックな笑いを生みだす。複雑な後味の結末もふくめて、デスレースの設定のバカバカしさを自覚的に描写し、そのようなバカバカしいことに熱狂してしまう社会の恐ろしさを風刺していた。
チーム同士の対立もけっこう良くて、特にカウガールとネオナチの女性レーサーふたりが気にいった。レースも日常もいがみあい、一方のナビゲーターを轢殺するような激しさだが、一方がレジスタンスに殺された時は心から悲しむ。TV画面で表層的な哀悼をささげるだけかと思いきや、やがて本心から敬愛していたことが明かされる。これはもう百合映画といっても過言ではない。いやもちろん過言ではあるが、違う時代に制作されたらB級映画らしくレズビアンシーンを挿入しただろうな、と思えるくらいの関係性とは感じられた。
黒ずくめで全身を隠した主人公フランケンシュタインの、いくども事故にあいながら移植手術で復活したという設定も、ディストピアSFらしい真相がきちんとある。仮面に隠されているのは極端な醜悪か美形という定番を期待するところ、けっこうガッカリする素顔だが、その落差に自覚的な台詞があるし、物語をとおして主人公らしい顔立ちに感じさせてくれる。