法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第38話 輝け!ユニのトゥインクルイマジネーション☆

ウラナイン星にやってきた星奈たちは、かつてユニを導いた盲目の占い師と出会う。その占い師ハッケニャーンこそ、ユニがバケニャーンに変身した時のモデルだった……


32話以来の村山功シリーズ構成の脚本に、座古明史コンテで、ひさしぶりの青山充一人原画。重要回だが、あまり総作監修正は入っていない感じだった。
今回はユニとアイワーンの物語を決着させるための下準備といったところ。ハッケニャーンがユニと同じ猫人型という偶然を落胆する描写でフォローしたり、孤独なアイワーンがノットレイの強化服を開発して組織に自身を認めさせたり、その流れでアイワーンの過去の悪事が実験とにおわせて邪悪さを軽減したり……さまざまな設定に説明をつけたり因縁をえがくかたちでふたりの存在感を高め、共通点を印象付ける。
そして同じように孤立した存在としてアイワーンにユニが手をさしのべ、今回はアイワーンがふりはらって終わった。ユニの故郷を石化させた以前にアイワーンが孤独だったことや、他のノットレイダー幹部も孤独な者のよりあつまりということは、まだプリキュアは知らない。それを知ることが今作全体の結末へつながっていくだろう。
ただ、冒頭でいきなり現地に到着しているテンポは良いのだが、過去のドラマを描くのを優先して、占いが日常的な星という設定をつめきれてない感じがあった。さまざまな姿形の住人が占いをしている街を見せて、異星の人々がつどっている星ということをシンプルに説明したのは良かったが、その住人たちの姿にSFを感じなかった。もう少し雑然とさせるか、宇宙的な占いデザインを見せてほしかったな。

『ドラえもん』変身レプリンター/ツバメののび太

アニメオリジナルの前半と、原作のある後半と。


「変身レプリンター」は、先生の家庭訪問を阻止するため、遺伝子をとりこんだ相手に変身できる秘密道具を使う。それで母に変身してやりすごしたのび太は、宿題をするため出木杉に変身するが……
伊藤公志脚本、木野雄コンテのアニメオリジナルストーリー。変身できるのは毛髪までで、服装は変えられないし、逆に頭脳などの能力は獲得できるのが他の変身系との違い。ヘソ出しショートパンツ姿になった野比母のエロティックさは他にない。この設定のおかげで誰に変身しても区別がつけやすい良さもある。
物語については、のび太が急いで宿題を始めた謎に始まり、はちあわせした本物の野比母が自分の疲れと思いこんで引っこんだりと、微妙に原作のパターンを外して進行しながら、あまり違和感がない。少し選択肢や出会いの順番を変えれば、同じキャラクターでもこういう行動をとると納得できる。
のび太が変身した偽者と自分自身の境界線がわからないジャイアンも、直前でスネ夫の演技に失敗したのび太とパターンをずらしていて、作者が混乱しているのではなく登場人物が混乱しているのだと理解できる。
変身を維持しつづけるには精神力が必要で、いろいろな遺伝子をとりこみすぎて顔面がメタモルフォーゼするオチも怖くていい。道具をとれば解除できると説明されているので安心感もある。


「ツバメののび太」は、のび太スネ夫に対抗してクジラを飼っていると口走ったため、ドラえもんは遠くの動物を空間ごとケース内にもってくる道具を出す。そして渡りが遅れたツバメを観察することになるが……
おそらく2005年リニューアル以来の初アニメ化。原作初出の1981年では、渡りの遅れがそのままのび太のようにノロマという話になったが、地球温暖化がつづく現在では別の文脈が生まれている。
シリーズディレクターとして善聡一郎が早くも二度目のコンテを担当。ジャングルの動物は止め絵で植物などを描きこみ、空中のツバメは挙動をていねいに作画。電柱にぶつかったツバメが回復して飛びたった時、また電柱にぶつかりかけるようなアニメオリジナル描写で、遠く離れた場所をきりとっているという実感が生まれる。
押入れを叩いてドラえもんを起こそうとしたら、襖が開いてドラえもんの鼻を叩いてしまう描写など、生活描写も細かくていい。最初から最後まで基本的に原作通りだからこそ、それが現実に存在したらどのように動作するのかを重視するだけで、アニメとして充分に見どころがあった。

『お嬢さん』

小間使いの珠子と称して、豪邸に入りこんだ朝鮮人のスッキ。豪邸に住む日本人の秀子につかえながら、スッキは愛着を持つようになった。そして秀子が罠にかけられる瞬間、詐欺を手助けしていたはずのスッキが……


オールド・ボーイ*1パク・チャヌク監督による2016年の韓国映画サラ・ウォーターズ『荊の城』を原作として*2、舞台を日本植民地時代の朝鮮へ翻案している。

GYAO!で10月26日から無料配信予定。流血などの暴力は少ないが、エロティックな場面は多いためか、R15指定となっている。
お嬢さん(R15+) | 韓流 | 無料動画GYAO!
パク・チャヌク監督がこうした映画を撮るのは意外だったが、思えば復讐三部作のサスペンス映画『親切なクムジャさん*3ですでに百合的な描写はあった。


洗練を増している2010年代の韓国映画にあって、かなり色使いも芝居もキッチュだが、技術や予算の不足をごまかしているわけではない。冒頭でさりげなく植民地朝鮮の市街地をVFXで再現し、日本趣味な豪邸の悪趣味ぶりも大規模なセットで表現しているので、意図的なビジュアルとわかる。
そうした書き割りのような世界で、詐欺少女や偽日本人のような立場の薄っぺらな人々が、偽りの言葉を並べながらいつしか虚実がとけあっていく。スッキは秀子を騙すために献身しながら、愛する気持ちが本心へと変わっていく……という展開がひっくり返るまでが第一部。


第二部からはミステリの種明かしになるので細かくは語りづらいが、いろいろ予想していたことが外され*4、枠組みから目くらましされていたという驚きがあった。
この映画において描かれたことは、すべて劇中で実際に起きたこと。いかにもキッチュで悪夢的な情景で少女たちが苦しめられるわけだが*5、それが登場人物を追いつめる現実なのだと理解すると、より重たく描写がのしかかってくる。描かれたことが事実と理解すれば、さりげない伏線の大胆さにも気づかされるし、それが伏線だったこと自体に意外性がある。
そして、そのように映るものすべてが現実と描いてきた映画だからこそ、たどりついた幸福な情景がどれほど能天気に見えようとも、堂々とした力強さがあるのだ。

*1:『オールド・ボーイ』 - 法華狼の日記

*2:舞台や結末の変更ゆえに原作者から原案表記にするよう求められたが、完成作品に満足して原作表記が許された。『お嬢さん』サラ・ウォーターズから“原作表記NG”を受けていた!? 製作秘話が明らかに|Real Sound|リアルサウンド 映画部

*3:『親切なクムジャさん』 - 法華狼の日記

*4:たとえば、スッキが遺児を養子として売買していた導入から、日本人のはずの秀子も出自は朝鮮人という可能性を考えていた。それならば秀子を韓国の女優が演じていることも伏線になる。

*5:少女がたがいをいたわる姿を性行為に限らず性的に描きながら、男による女への性暴力は手をふれないどころか裸体すら映らない場面も多いことが興味深い。性行為や性的描写と、性暴力は異なる問題ということを確信的かつ革新的に描いている。

『相棒 Season18』第3話 少女

猫探しをしていた特命係は、不思議な少女に助けてもらう。お礼をいいに少女のマンションへ向かったが、鍵は開いているのに何の反応もない。その時の少女は殺人犯の男に口をふさがれていたのだが……


殺人犯と幼女が奇妙な同行をおこなう物語を、神森万里江脚本で展開。極端にひねったミステリではないものの、2時間サスペンスから無駄を排して1時間に凝縮したような、このドラマシリーズの長所がシンプルに出ていた。
連れ去られたようで、むしろ積極的に状況を動かしていく幼女は、大島美優が好演。演出も良かったのだろうが、日本の子役にしては演技がオーバーにすぎず、大人びた恐るべき子供をうまく表現していた。


しかし殺人犯が幼女を拉致する恐怖の追跡劇で1時間、殺人犯の真意が明らかになってから新たな事件で1時間という構成にすれば、ちょうどシリーズ開始にふさわしいスペシャルになったのではないかとも思う。
見せ場にできる大立ち回りもあるし、ゲストの立場でもメインの立場でも緊迫する局面が多い。重たい物語の結末に小さなひねりが入って、わずかな救いとともに伏線回収の面白味も生まれた。
社会から孤立した男と幼女をていねいに風景へ配置すれば、映像作品として重厚な絵も作れるだろう。それと導入の猫探しは本筋との関連性が弱かったが、尺があればもう少しうまく接続できたように思える。

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』

20世紀初頭は、魔法を使えない人間と魔法使いたちが軋轢を起こしつつあった。米国では、魔法使いを攻撃する組織が生まれたり、何らかの魔法で建造物が破壊されたりしていた。
そんな米国に、魔法生物学者ニュートが降り立つ。魔法生物を故郷に帰そうとするニュートだが、パン屋を開業したがっている労働者ジェイコブとトランクを取り違えてしまい……


ハリー・ポッター』シリーズの前史を描く新シリーズ1作目を、2016年に映画化。原作者のJ・K・ローリングが脚本や製作もつとめ、前シリーズの終盤を担当したデヴィッド・イェーツが監督した。

VFXで再現された1920年代のニューヨークを、ところせましと魔法生物が暴れまわるビジュアルのおもしろさが、シンプルな物語のおかげで良い意味で素直に出していた。


荷物のとりちがえという古典的な発端から、分断された社会でそれぞれの陣営にいどころのない男ふたりが出会い、さまざまな問題に協力して立ちむかう。やはり組織でイレギュラーな女ふたりが、そんな主人公たちと距離をとりつつ助けていく。
小さな魔法生物が群衆にまぎれたり、街角で銀行や店を荒らしたり。大きな魔法生物がセントラルパークで野生動物にふれあったり、門を壊しながらジェイコブを追いかけまわしたり*1。やがて都市を縦横無尽に飛びまわり戦いを始める。
怪獣映画としてピーター・ジャクソンが2005年にリメイクした『キング・コング』を連想したが、そちらは約3時間の長大な尺に比べて都市で暴れまわる場面が少なかった。比べてこの映画は、約2時間の尺でさまざまな魔法生物を暴れさせつづけ、都市の風景が変容していく異化効果では優っていた。


また、この映画はほとんど現実に近い世界が舞台なので、定義的にローファンタジーにカテゴライズされるはずだ*2。一方、『ハリー・ポッター』シリーズの、特に異世界を主な舞台にしたエピソードは、ハイファンタジーにカテゴライズされる。
あたかもハイファンタジーであるほど重厚で設定が細かい作品という印象が語られがちだが、比べると『ファンタスティック・ビースト』は『ハリー・ポッター』よりもシリアスな印象がある。
思えば、舞台が現実に近いほど危機が起きた時の切迫感が強まるのは当然ではある。主要登場人物の年齢が上がっているのも、魔法の助けが期待できないことのかわりと考えられる。

*1:メイキングを見ると、操り人形師が大小さまざまな生物を演じ、俳優の目線や3DCGのガイドになっていた。その情景そのものも舞台劇のような楽しさだった。

*2:現実とは異なる魔法だけの世界が存在することが示唆されているので、完全に現実が舞台のエブリデイマジックではない。