法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『太陽の怪物』

 原子力技術の事故で放射線をあびたギルバートは、病院にかつぎこまれるが身体に異変は見られない。しかし後日、白昼の屋上でギルバートの肉体は怪物のように変化してしまう。病院を出たギルバートは別荘に閉じこもり、やがて夜の酒場へくりだすが……


 鱗状の皮膚をもつ怪物となっていく主人公を描いた1958年の米国映画。俳優のロバート・クラークが製作、主演、監督をつとめた。

 1時間半に満たないモノクロスタンダード作品で、明らかに低予算低技術のZ級ホラーだが、本国ではけっこうカルト的な評価がされているらしい。


 いくつか危険っぽい高所撮影があるくらいで、アクションサスペンスとしては退屈。初変身は意外と早いが、直後になぜいつ変身するのか解明されるので謎解きで引っぱるわけでもない。主人公のキャラクターを描写する以前に、仲の良い女性と研究者が状況を説明する会話をくりかえすばかりで、いくら低予算でも映像が単調すぎる。主人公が意識的に変身条件をさけるので、逆に二度目の変身は映画開始30分以降と遅い。変身した姿も、きちんと表情が変わるとろは当時としては悪くないが、上半身までしかさらさない。
 月夜に変身する『狼男』を反転するように日中に怪物化する珍しさが映像で表現できていないところも痛い。モノクロ作品とは言え、夜と昼に映像としての違いがほとんどなく、前後の流れから読みとるしかない。暗がりでしか人間にもどれない描写をきちんとビジュアル化できれば、デザイン以外でも見どころのある怪物映画になったと思うのだが。


 物語も平凡で、予告でも類似作品として言及するくらい元ネタが『ジキルとハイド』であることは明らかだ。終盤に無垢な少女に助けられそうになるところは『フランケンシュタイン』か。
 ただし実際に見ると意外と両方とも印象が異なる。先述のように主人公が変身していることが周知の事実というだけでなく、凶悪化と呼べるような描写がそれほど存在しないという大きな違いがある。前半に変身してしまって日陰に逃げこむ場面でネズミを握りつぶすところも、残忍さよりも動転しただけに見えるし、相手が小さな害獣なので嫌悪感がわかない。人間を初めて殺すところも仲の良い女性が劇中で主張するように正当防衛に見える。そこから警察に追いかけられる展開になっても主人公は逃げることを優先していて、結果としての事故や最低限の反撃によって相手を傷つけるだけ。
 全体をとおして見ると、人格が凶暴に変わっていく恐怖ではなく、外見が怪物化しただけで排外される恐怖を描いた作品のようにすら見えた。凶暴に暴れまわる描写をするための予算がなかった結果だとは思うが。