法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『新・猿の惑星』

地球へ帰還した宇宙船が海をただよっていた。さっそく回収にむかった米軍は、宇宙服を着こんだ乗組員を救出する。しかしヘルメットの中からあらわれた顔はチンパンジーだった……


1971年に公開されたシリーズ3作目。監督のドン・テイラーは、後年もタイムスリップと戦争がからむオリジナル映画『ファイナル・カウントダウン』を手がけている。

大爆発した未来から現代にタイムスリップしたという導入だけは知っていたが、心の準備をしていたのに説得力がない。まったく続編を考えていなさそうな前作*1の結末からそのままつづいた設定に無理がある。
もちろん前作からして、作中で説明される設定では地球そのものが破壊されるとは思えない爆弾も「サイテー」の説得力だった。しかし前作の中盤でドラマから退場していたキャラクターが、まったく説明もなく宇宙船を修理していたと説明され、それで宇宙へ脱出できたというのは強引すぎる。さらに地球が破壊する光景を目撃してからタイムスリップしたことに説得力がまったくない。てっきり巨大な爆発のエネルギーでタイムスリップする設定とばかり思っていた。
時間移動の設定にしても、観察者がとりこまれる説明に視覚的な面白さはあったが、いかんせん煙に巻かれたとしか思えず、他のタイムスリップSFと比べてわかりやすいイメージでもない。そもそも知りたいと思ったタイムスリップのきっかけの説明になっていない。
3作目をこのような展開にしたいなら、前作の結末をみちびく爆弾はブラックホール発生装置だとか、もっとそれらしいSF設定にするべきだった。2作目をつくった時点では続編のことなど考えていなかったのだろうが。事実として、Blu-ray付属のドキュメンタリによると、そのままでは続編をつくれない2作目からつなげるため、脚本家が宇宙船での脱出を思いついたらしい。


しかし背景設定の飲みこみにくささえ我慢すれば、本編の完成度は意外と高い。
古典SF映画地球が静止する日』のように、奇妙な来訪者によって社会に不和と変革をもたらす移民社会米国らしいジャンル作品のひとつとして完成している。
その来訪者を未来人、それも現在の人類とは主従関係が逆転した動物種に設定しているところが結果的にしてもアイデアで、ただの時代的なギャップで楽しませるタイムスリップ来訪者にとどまらない緊張感がある。
登場人物の多くが理知的に行動することも物語を停滞させず、良かった。葛藤は考えが異なる立場の論争で処理され、それぞれの考えを選んだ人間は迷わず行動する。未来では人類を生体実験していたと告白するチンパンジーに対して、未来の人類は獣のような存在なのだろうし現代人も猿に対して同じことをやっていると人間の研究者は相対化して理解をしめす。結論にたどりつくまで無駄な時間をとったりせず、そのような理知的な人々でも感情に負けたり衝突したりするドラマへと発展していく。
未来から来たという設定で猿マスクのキャラクター少数が現代社会をさまようだけの低予算設定だが、そこで節約できた予算を脱出劇や追跡劇の描写にさくことで、逆に異人来訪というジャンル映画では比較的に予算をつかった大作感が生まれている。Blu-ray付属のドキュメンタリによると、前作の250万ドルからさらに予算を抑えた200万ドル。それでも2000万ドルの興収をあげて大ヒットできた。
結末も見えすいたトリックだがそれゆえの説得力はあり、シリーズがつづく予感を無理なく生んでいる。序盤で未来チンパンジーの隣の檻にいるゴリラが着ぐるみ丸だしなところが、人獣の交換可能な雰囲気をつくって、結果として効果をあげている。


いずれにしても、同じ内容でもシリーズ作品ではなく、星新一ショートショート的な単発映画として楽しんだほうが良いかもしれない。導入のSF考証の疑問点は、独立した設定とリアリティの作品と思えば、ほとんど解消される。
それに過去作は、大規模セットと多数の特殊メイクで未来を再現することで、低予算なりに大作感があった。それと比較しなければ、少数の着ぐるみが街を徘徊する場面が大半であっても、追跡劇でヘリコプターなどをつかった大作感がいっそう増しただろう。
一応、未来側で死んだ人類の存在も言及されるが、その家族が登場してドラマにかかわってきたりはしない。たぶんシリーズについてまったく知らず、この3作目からいきなり見ても単独で楽しめそうに思える。