法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『猿の惑星・征服』

1991年の世界では二足歩行する類人猿が奴隷のように酷使されていた。訓練で痛めつけられる類人猿のなかに、ただ一匹だけ人語をしゃべれるチンパンジーがまぎれこむ。そのチンパンジーこそ、未来で進化したチンパンジー夫妻が現代にタイムスリップして産んだ子供だった……


1972年に公開されたシリーズ4作目。地球の支配者として人と類人猿が逆転する瞬間を、『ナバロンの要塞』のJ・リー・トンプソン監督が描いた。

予算不足をおぎなうため未来文明を原始文明に変更した1作目*1や2作目*2と違って、舞台は公開当時における近未来。削減をつづける予算で撮影するため、20世紀FOXが経営難で売却した撮影スタジオ跡地に建てられたモダンなビル地区を利用した。
それでも予算は目に見えてきびしく、せまいビル地区と少数の小さな室内セットで大半の撮影をすませて、猿マスクこそ多いがコスチュームは戯画的な大量生産の制服ですませて、シネマスコープサイズでありながら尺は一時間半に満たない。特撮は炎上する遠景のビルひとつくらいで、それも影絵のように平面的で、窓ごとに炎をわける工夫もしていない。


SF設定は3作目*3を踏襲して、病原体で死滅した犬猫のかわりにペットとなった猿が労働力としてもつかわれ、奴隷のように酷使される状況から反乱がおきる。
人間側がバカすぎるというか、人と猿の立場が逆転する未来を3作目で知りながら、なぞるように行動していく展開に無理がある。普通のタイムスリップSFなら、語られた未来とは異なる行動を人間側がしようと選択してタイムパラドックスが発生しそうになるところだろう。
しかし、きわまった低予算ぶりと、それをおぎなうような流血の多用は、ゾンビ映画*4のようなものだと思えば許せる。ゾンビのかわりに知能が発達した猿が反逆を起こすわけだ。物語もシンプルではあるが主従が逆転する寓話として成立している。
それなりに予算をつかって世界的にヒットしたSF大作シリーズの末期がこうなったこと自体、人類の黄昏を感じさせる味わい深さもあった。シリーズをかさねるたびに映画として粗悪になっているが、結果として比例するように好みの内容になっている。良いのか悪いのか……

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:hokke-ookami.hatenablog.com

*4:ジャンルの始祖となる『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は4年前の1968年に公開され、すでに一定の人気を集めていた。