法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「日本軍は当時の南京市民に歓迎された」という写真で女性が和服を着ている謎を、信州戦争資料センター氏が解明していた

発端は「私は嘘を申しません」とだけプロフィール欄に書いている「Alsnova@alsnova」氏の下記ツイート。


日本軍は当時の南京市民に歓迎されたみたいですね。
写真が多数残ってますよ。
そもそも軍事目的として大量虐殺なんかする必要性がありませんね。


はあ?
大量虐殺しておいて、こんな写真は撮れないよ。
そもそも信頼できる大量虐殺した証拠写真はない。
左翼や中国側が示した虐殺の証拠写真はどれひとつ信頼できるものはない。

もちろん、ひとつの場所で数十人が喜んでいるだけの出典もはっきりしない写真ひとつでは、広大な都市における虐殺を否定できない。
占領された側の歓迎する瞬間を切りとるだけでは、そこで映っている人々が本当に歓迎している証拠にすらならない。


しかも問題の写真は背後の門が薄っぺらく、女性が和装をしている謎がある。
長野県で個人として戦争資料の収集や展示をつづけている「信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)@himakane1」氏が情報源をさぐりあてた。


元画像はこちら。日本軍が南京で虐殺や婦女暴行しているさなか、日本では南京陥落を祝っていたという説明文の例示としてあげた2枚のうちの1枚です。
www.ifuun.com


いつもお騒がせします。南京市民が日本軍を歓迎したって話の写真に和服女性達が旗ふってる明らかに国内祝賀写真を平気で使っていたので、探って指摘叩き込んでた次第。おそらく昭和12年12月13日ごろの東京日日新聞辺りかとみて調べてますが、アーカイブで出てこなかったので、さらに調べる所存。


代わりに答えてみせましょう。国際情報社(東京)発行の世界画報1938(昭和13)年2月1日号に、東京の南京陥落を祝う提灯行列に合わせたカフェーの祝賀風景として載っていました。

何のことはない、舞台のような書割りの前で撮影した、日本国内の写真だったわけだ。
当時のプロパガンダに騙されて南京事件を否認している場面は何度か見かけたが、侵略者側の快哉を被占領者の歓迎ととりちがえるのは珍しい。


なお、写真が主張したような資料ではなかったことを指摘された「Alsnova@alsnova」氏は、写真が状況証拠にしかならないことを認めていった。


遺体はどこにある?
写真なんてどうでもいいよ。
よく調べたね。


結局、遺体も合理的に推測できる殺害方法も示せないのか。
やれやれ。
写真なんて所詮状況証拠だしねえ。どうでもいいかな?
くだらないことにこだわって本質に目を向けない人たちだ。
カティンの森事件みたいな動かぬ証拠を示してもらいたい。

「大量虐殺しておいて、こんな写真は撮れない」という主張から「写真なんてどうでもいい」という主張へ変わっていく場面は、珍しいものではない。