法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ギャラクシー街道』

遠未来、宇宙空間で150年前に開通した幹線路は老朽化し、新たなルートも開拓され、かつての盛況を失っていた。
その「ギャラクシー街道」で経営をつづけるハンバーガーショップは、今日も奇妙な客の対応に困っている……


2015年に公開された日本映画。三谷幸喜のオリジナル作品として、自身で脚本から監督までつとめた。

三谷脚本が絶賛された大河ドラマ真田丸』の直前に公開され、不評を集めたことだけは知っていた。
nlab.itmedia.co.jp
現在もレビューサイトでは酷評が多いが、Amazonレビューでは好評が上位に集まっている。


まず、日本映画としては巨大な店内セットは良かった。360度カメラで見わたせる広さで、デザインもキッチュでポップな人工的な舞台として楽しい。Blu-ray特典のワンカットでセットを紹介していく映像が映画本編より面白いくらいだった。
しかし物語は弛緩していて、つまらない下ネタやハラスメントを散りばめただけ。SFらしい視点の面白味や緻密な飛躍がない。登場人物の設定や行動が後々に意外なつながりを生むこともなく、数少ない協力と活躍が描かれるかと思えば肩すかし。さまざまな思惑が交錯する群像劇にならない。
その原因を理解できるのがオーディオコメンタリーで、ピエロの幻が見えていることを役人が店長に訴える場面で、脚本と監督を兼任している三谷が店長視点を理解していないことに唖然とした*1。店長を演じる香取は役の視点を理解できているが、三谷は香取の立場から相手が何を考えていると解釈できるのかがわかっていないため、どこですれ違いが起きているのかもわかっていない。そのため、いぶかしんでいる香取の芝居の意味もわかっていない。オリジナル作品の監督兼脚本の態度ではない。
さらに、なぜこのような「エッチ」な映画になったのかと香取に問われ、大人のドラマにしたかったと三谷が説明したこともあきれた。下ネタも性欲も、どちらかといえば背伸びした青少年やハラスメントを好む男性が好む描写であって、それ自体は大人のドラマにはならない。同じように異なる文化や体質の客に対応しようと奮闘する物語でも、性的な興味をもたない少年が実家のホテルをてつだう『21エモン』のほうがよほど完成度が高い。

宇宙人に対応する難しさを表現する粘着性の宇宙人が最後まで放置されつづけ、粘着物が求められるクライマックスの出産でつかわれなかった理由は、三谷が撮影完了後の編集時に思いついたからというのも、情けなくて困った。その西川貴教が演じる宇宙人は本来カエルのような、もっと醜悪で、香取の嫌悪に観客が共感できるデザインのつもりだったという説明で、さらに困った。監督なのに何ひとつ画面をコントロールできていない。いや、どれほど醜悪であっても、いやだからこそその存在を差別する主人公に共感することは難しい……

*1:ややネタバレになるが、まず役人は自分にだけ神出鬼没のピエロが見えていると考えている。しかしピエロは店長にも見えていることが後でわかる。つまり店長がいぶかしんでいるのは、普通に見えているピエロを役人が幻覚のように主張する意味がわからないため。